イギリス留学 ざっくり日記

大学院で社会開発を学んだ話

人権についての考え方①(普遍主義と文化相対主義)

今回は春に受講した「子ども」についての授業で学んだ、人権について紹介します。

この学びが印象的だったのは私が社会課題を解決すべきと憤る時、「なんてひどい!これは人権を侵害しているのでは!?」と考える傾向にあったからです。でもじゃあ人権って何?と問われれば「国連が決めたもので、皆に権利があって、えっと・・」と曖昧だったのでした。

特に「権利」の考え方の文化的な違い、そして「子どもの権利」に関する議論の2つについて書きます。ここで書くことは授業で使ったテキスト*1 を参照しています。

まず、権利の考え方についてです。授業で人権に対する考え方として、まず国連が掲げる人権の概念である’Universalism’ (普遍主義)について説明されました。ただそれはヨーロッパの数国の価値が強く反映されており、この普遍主義の考え方に反論して文化を尊重する’Relativism’(文化相対主義)があると知りました。

特になるほどーと思ったのは以下2点です。
1.「人権」の考え方の変遷
個人が等しく同じ権利を持つという考えは約200年前にフランス、アメリカの革命で初めて掲げられていますが、この時は権利の対象として女性、子ども、奴隷は想定されていませんでした。でも第2次世界大戦後の1948年に「世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)」を「すべての人民にとって達成すべき共通の基準」として国連で採択されました。*2 その権利は’inherent(生まれながらに有し)’かつ‘inalienable(譲渡され得ない)’というのが特徴で、国籍、性別などに関わらず全ての人の人権を謳っています。

2.普遍主義的な考えに反する文化相対主義的な考え
世界人権宣言の考えは西洋(ヨーロッパの数国とアメリカ)の価値観に根差しているため、自分たちの文化に合わないという考えもあります。特にすべての個人が独立した存在であるという考えは、人を個人というよりも集団の一員として考える国の文化とは異なります。

日本も例に出ていて、人類学者のGoodmanは日本に「権利」という概念とともに「個人」という考えが紹介されたため、現在でも日本では個人主義的な考えが時に「我儘」ととらえられることがある、と述べています。そして儒教の影響が強い国では、個人よりも集団が強調される傾向にあることも指摘されていました。また。普遍主義的な権利は一般化しすぎており、各国の国内法では内容をより詳細に決めなければならないという意見もあるようです。

これを学んで思い出したのが、秋学期の授業で教育について議論した時のことです。私は「全ての子どもには教育を受ける普遍的な権利がある」と発言したのですが、担当の人類学者の先生が「そうだね。でもどんな教育が良いのか、ということを考える必要があるし、押しつけにならないよう配慮が必要だね。」と軽くたしなめるように言ったのです。

その時は「当然の話をしたのに同意を得られなかったのはなぜなんだろう」とうまく理解できなかったのですが、暗に指摘されたのは「教育とは自分も受けてきた、学校でカリキュラムにそって行われるヨーロッパの影響を受けた勉強形態である」そして「普遍な権利という考えは万国共通である」という私の思い込みだったことを、春の授業で自覚出来ました。

2つ目の子どもの権利ついては次のページで書きます。

*1:‘Understanding Childhood: an interdisciplinary approach’, 2003, ed Moodhead, M. and Montgomery, H. Chichester: John Wiley and Sons.
https://capitadiscovery.co.uk/mmu/items/1541052

*2:世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)http://www.un.org/en/universal-declaration-human-rights/