イギリス留学 ざっくり日記

大学院で社会開発を学んだ話

良い援助とは何か例えてみた話

今回は良い援助とは何かについて考えたことを紹介します。援助で何が重要かを理解するために、援助を「ご飯」に例えて考えてみたのですが、自分にとっては腑に落ちる部分があったので紹介します。 

まず何故この変な例えを考えるに至ったかを説明しますと、一番の理由は援助の評価が千差万別で私が混乱していたからです。私は大学院で学んで、色々な意見を知りつつどれを自分が重要視するかを決めたいと考えていました。でも色々な考え方があって、どう判断すべきか分からず困っていたのでした。私の所属するコースはどちらかというと資本主義に反対する論調が多いのですが、きっと経済学関連のコースでは読む論文なども違うのではないかなと思っていました。

そこで、自分が援助よりもう少し詳しく知っている「ご飯」を当てはめてみたのでした。まず、食べる・作るは毎日しているので、どんなご飯が良いか、についてはどんな援助が良いかよりイメージしやすいです。また、援助の判断には価値観が深く関係しますが、頭で考えるだけだと分かりにくい。でもご飯は味・においなど五感を使って判断するので分かりやすく感じました。そこで以下のように例えてみました。 

・Aはご飯を食べる人=援助される人(開発途上国の住民)。 Aはお金がなく一日一食の生活でお腹がすいています。 
・Bはご飯を作る人=援助活動を実際する人(援助機関から途上国に派遣される専門家など)。 Bは自分の料理で人を幸せにしたいと考えています。
・Cはレストランを経営する人=援助に必要な資金や物品を提供する人(援助を調整する機関の管理部など)。 Cはお金は十分稼げたので、社会貢献もしたいと考えています。
・Dはその結果、A に提供されたご飯=援助されたもの。

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そして、Dという援助(ご飯)の評価に影響する要素を①~⑨まで考え付きました。

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特に3者の価値基準(①③⑥)、社会環境(②⑤⑦)は判断に大きく影響すると考えています。進学前の私は、特に大学院で以下3つを勉強したいと考えていました。 
①援助されるAの価値基準
⑧援助方法(どのような援助手法を用いるか等) 
⑨援助内容(教育なのか起業支援なのか等) 

ただ、授業を通して驚くことが多かったのが個人の価値基準(①③⑥)は、違うんだなあということです。同じく援助側にいる援助実践者Bと援助管理者Cですら合わせるのが難しいこともあります。また、通常のレストランであればAはお金を払って料理を食べるわけですが、援助の世界では援助されるAがお金を払う機会はあまりありません。だから評価が更に難しくなります。 
つまりこの例では食事の好みが違う人々が関わるので、何が良いご飯か(何が良い援助か)が違うのは当たり前だと分かりました。そして良いご飯といっても「美味しい」「健康に良い」「見て楽しい」と何を重視するかは依って違うとも思います。

例えば、経営者Cがある地域に住むAはお金がなくご飯が満足に食べられないと知り、「自分の好きなスパイスたっぷりカレーライスをご馳走してあげよう」と援助するとします。援助されたA は実は辛い物が苦手、でもご飯を買う余裕がなくて経済的には助かるので無理に食べるということがあったとして、この時に浮かぶ疑問点としては以下があります。

1) お腹は満たされたけど、苦手なもの食べてAの具合が悪くなった場合、Aにとってそのご飯(援助)は「良かった」のか? 
2) その後Aが今度はカレーライスではなく野菜スープとご飯を援助して欲しいといったときにCは援助を続けるか?(Cは自分の善意が拒否されたと怒るかもしれませんし、カレー専門店の経営をしていて、「貧しい人を救ったカレー」として宣伝したかったかもしれません。) 
3) 無料で提供されたご飯の内容に変更を要求したAは我儘なのか? 
4) 良かれと思って作ったカレーでAの具合を悪くなったと知ったB。その後Bは「自分はカレーが苦手だと言わなかったA」「Bの好みを確かめずにカレーを提供してしまった自分」「Aの意見を聞かずにカレーを作らせたC」の、どれに原因を見出せば良いのか? 

言葉遊びみたいですが、こう考えると被援助側と援助側の価値観の違いが分かりますし、ここに社会環境も影響します。極端な話ですがなじみのないカレーのスパイスの香りで隣の人から文句を言われると、自分が美味しいと思ったカレーでも次はいらないと思うかもしれません。 

この援助をご飯に例えて考えた結果、開発援助においてBの援助者を目指す私が「変えられる」のは基本的に自分の④知識、能力、⑧援助方法、⑨援助内容だと気づきました。また、「自分の」③価値基準も柔軟にすることで、Dの援助を良い効果のあるものにしていくことが私の重視することだとやっと分かりました。(もちろん人の料理の好みが状況や体調で変わるように、キッチンを使いやすく変えたら料理が美味しくなるように、個人や社会の価値基準が変わることはあると思います。)

この例から改めて、私は物事を「改善」したい場合、まずは自分の行動を変える考えが好きだと分かりました。それは自分から、相手を理解したり交渉したりすることだと考えています。反対に、私が一番嫌なのは自分と違う「価値観」や「規範」を悪いと決めて変えようとすることだとも感じました。そして変わらなかった相手を責めることも苦手です。
それはこの例で行くと「みんながカレーを食べるべきだし、カレーを美味しいと思わない人はおかしい」と主張するようなものだからです。「より良い世界に変えよう!」って言ったとき、誰にとって「良い」のかを具体的に考えないと、逆の影響があるかもしれないことを自覚する必要があると思っています。 

ちなみに前ページの例の改善案を考えたのですが、 
・Cがスパイス栽培会社をAの住む地域に設立、 
・そこで働いたAは給料で好きなご飯が買えるようになり、 
・料理人Bはその会社の食堂で美味しいスープ(スパイスありなし選択可)を作ったりしながら、Aに地元の料理の作り方を教えてもらって更に料理人としての腕を磨く・・・
というのが皆にとって利益があると思える、私が良いと思う援助の方法です。

ちなみに何でカレーが例えに出てきたかというと、これを考える前にシェアハウスでカレーを美味しく作れて幸せな気持ちになったのは良いものの、共同キッチンにニンニクとスパイスの匂いが充満したので焦って窓を全開にして喚起を試みたせいだと思います。 とりあえず匂いは緩和したしカレーは美味しかったですし、少し変わった例を考えた結果、自分が大学院で得たいものがクリアになり良かったです。