イギリス留学 ざっくり日記

大学院で社会開発を学んだ話

力関係について

今回は大学院で学んだ力関係を認識する大切さについて書きます。

私はなぜ自分がこんなにも開発援助に興味を持っているのかこれまで疑問に思っていました。なぜなら私は消極的な方で、ニュースなどで報道される国内外の社会課題で関心があれば自分で調べたりするものの、それについて何か積極的に行動したりすることはなかったからです。

一つ分かっていたのは、私は開発援助によって人々の選択肢(可能性)を増える、ということにとても魅力を感じているということでした。例えば、教育を受ける機会がない子どもの住む町に、ある援助によって学校が作られ先生が派遣されて・・・といったことです。ただ、ある行動(援助)が「選択肢の提供」となるか「押しつけ」となるかはどこで判断すべきか、が整理出来ていませんでした。

でもやっと!大学院で学んで、自分の興味の源泉や援助の効果が「力関係」に関係していることが分かったのでした。つまりはある行動を行う時、そこに力の差があることを考慮しなければ、押しつけになる危険性があるということです。そしてその関係性に私は興味を持っていたのでした。

英語論文ではよく’ asymmetrical power relations’(不釣り合い/非対象 な関係)という言葉で表現されますが、ある人々の間、またはグループの間にはほとんどの場合、力の不均衡があります。対等という関係は理想的ですが、なかなか難しい。そのため、自分が力関係のどの部分にいるのかに自覚的になることは重要だと学びました。

そこで思い出したのが、昔読んでとても感銘を受けた小田実さんの「生きる術としての哲学」のに書いてあった「される側」と「する側」の以下説明です。*1 少し内容を引用します。

「いま世界は混沌としていて、これからどうなるか分からない。ということはわれわれの世界は『現場』だということ」
「『現場』は波風が立つ場所」であり、「『現場』では自分で判断しなければならない。自分で基準をつくって決めなければならない」

そしてこの「現場」の判断の条件として小田さんは「される側から考える」必要性を説かれています。

攻撃する側/される側、支配する側/される側・・・様々な「する/される」側で世界は成り立っていますが、私が開発援助に興味を持ち始めた2000年代は「援助する側」のメッセージがとても強い時代でした。今もその傾向はあるかもしれませんが、最近は「援助される側」の意見が伝わる機会も多くなってきたと感じています。この考えに触れて、私が開発援助に興味を持った大きな要因は、援助される側の意見を聞きたかったからだと気づきました。

私は可能なら「する側」「される側」どちらの意見も知りたいと思っています。ただ弱い立場になることの多い「される側」から考えることは、小田さんが仰るように現場で大切なことだと考えています。私は開発援助の目標として掲げられる今ある課題を解決しより良い状態を模索する、という前向きなメッセージに強く惹かれるからこそ、詳しく知りたくなったのかなとも思います。

私は援助する側を少ししか経験していないのですが、自分が援助者として(自動的に)持ってしまう「力」に自覚的にならなければ、と協力隊時代の反省も交えて思っています。

そして力関係を認識することは、自分が「される側」になった時も役に立つとも感じています。善意から行われた他者の親切を重荷に感じてしまう、又は、一見対等に思える関係なのに断りづらいなど、そんな時は見えない非対称の関係性に縛られている可能性があります。それを認識すれば、より自分が生きやすい状況にするための方法、例えば相手との関係性を変えるもしくは距離を置く、という判断が出来ると分かったのでした。

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*1:「生きる術としての哲学」、小田 実 著、 飯田 裕康 ・高草木 光一 編https://www.iwanami.co.jp/book/b260969.html