イギリス留学 ざっくり日記

大学院で社会開発を学んだ話

開発援助が暗に意味するものや留意点

今回は、前の記事の定義に続いて、開発援助が暗に意味するもの、その留意点について書きます。この内容は主に書籍「開発援助の社会学」から引用、そして参考にしています。*1

まず開発援助は暗黙のうちに近代化を肯定しています。では近代化とは何なのか?
これも定義は様々ですが、この本の26ページでは「近代化」の構成要素として「工業化」「民主化」「都市化」などが挙げられています。*2

その近代化は産業革命によって推進され、産業革命は資本主義の下で行われました。そして「近代」の起点は、西欧での一蓮の「市民革命」であり、近代化の推進力となったのは十八世紀後半のイギリスに始まる「産業革命」です。 つまりは、主流の開発援助はヨーロッパの数国を起点に始まった「近代化」、「資本主義」、「経済発展」を肯定しているのでした。
このことについて「開発援助の社会学」では以下のように指摘しています。

「こうして発展とは近代化することである以上、発展を手助けする開発援助は近代化を促進するための営為として位置付けられることになるのである。 これは援助する側が『近代化論』を信奉しているかどうかにかかわりない現実である。」42ページから引用

「現実分析を飛ばしていきなり理念に飛躍することは、『開発』プロセスが内包する『近代化思考』に関する考察を置き去りにしてしまう危険性をはらんでいる」「本書でも述べたように、現在観察される『開発』とは『非西欧社会の西欧モデルの近代化』という、きわめて文化拘束的な現象だと考えられ、その方向性への吟味なしに援助や開発を語ることは再び近代化論の陥穽に陥ることになる」190ページから引用

 「陥穽」とは落とし穴のことだそうで、私は近代化についてあまり認識せずに開発援助に関わり始めたので、この文章を読んでとても反省しました。
また、この本で書かれている「開発援助」に関わる際の留意点もとても重要だと考えました。ここでは「援助」は社会的行為で、「開発援助」は「社会の発展を目指して行われる、外部からの資源投入」 と定義され、以下の点が説明されています。(52ページの内容をまとめています。)

・資源には有形・無形の両方が含まれる
・開発援助とは「一方的な資源の移転」その意味で、贈与の一形態とみなし得る。
・同じ資源が贈与されても、両者の関係性、インフラ整備状況、受け手の活用能力に応じて、全く異なる意味と効果を持ちうる。これが「援助」という社会的行為である。

以前は「効果的な援助」について共通の正解があるようなイメージを持っていましたが、今は援助が贈与の一形態という考えに納得し、その効果は文脈に依って異なると気づきました。万人が喜ぶプレゼントが存在しないように、援助の効果も多種多様であると遅ればせながらイメージすることが出来たのでした。

そして「開発援助」で発生する意図しない力関係についても、以下のように説明されています。

・「援助は一方的に資源が移転されるために両者の関係は非対称なものとなる。 そして『与える』『受け取る』という非対称な関係は力関係=権力を発生させる」
・「理念として『対等』な『協力』を目指すことに異論はない。しかしながら、現在『国際協力』という名の下に行われている事象の多くは、この非対称性を有している。自らの関与している事象の『非対称性』に気づかず、『平等』の理念に酔いしれるとき、援助という行為はそのルールの不在と相まって、援助者にも被援助者にも望ましくない社会的軋轢や影響をもたらしかねない。」

これは協力隊としての経験で実感したことなので、一言一句が胸に迫る気持ちがします。当時の私には理念に酔っている部分があったと思うからです。

開発援助の定義を何となく良いものと思っていた私は協力隊活動中に自分が思い違いをしているのではと迷いました。そして帰国後、その迷いは開発援助が含んでいる近代化の肯定や非対称の関係を認識していなかったからだったと分かったのでした。それから大学院で学びなおした結果、自分なりの開発そして開発援助の考え、そして資本主義社会においてどの程度近代化を取り入れた方が良いと思うかについて認識出来るようになりました。このことは私にとって今後を考える上でとても重要だったと感じています。

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*1:「開発援助の社会学」佐藤 寛  著
また、開発援助が近代化や資本主義を肯定していることは大学院で読んだ文献にも多く記載されていましたが、以下書籍は分かりやすくまとまっていました。 
‘Poverty and development into the 21st century’, Allen, Tim and Thomas, Alan,編著
Poverty and development into the 21st century - Ghent University Library 

*2:コトバンクで「近代化」を調べた結果です。「きわめて包括的な概念でさまざまな意味内容を伴っている。」(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)とあるように色々な意味が載っています。
近代化(きんだいか)とは - コトバンク

「開発」そして「援助」とは何か

今回は開発の定義について書きます。
というのも、進学前の私は「開発」とは何かが分からなくなっていたからです。それまで私は、開発とは主に経済発展であり、開発援助とは「途上国(と呼ばれる国)が発展するために行う支援」という考えを持っていました。しかしどの時点で「開発」完了!となるかというと、イマイチ腑に落ちない気持ちもありました。日本は「先進国」(つまりは開発が完了した国)となっているけれど、それは経済面からそう見なされているだけで、当たり前ですが全てが完ぺきではなくまだ発展した方が良い部分もあると考えていました。

では、「本当の開発」とは何か?その答えについて、大学院で学んで頭が整理出来たのですが、特に以下が印象的でした。

1.「開発援助」「開発」の定義は多様
2.開発に関わるうえで、それが暗に肯定するものを認識する必要がある。

まず「開発援助」の定義についてですが、「国際協力用語集【第4版】」の説明を紹介します。

開発援助とは「開発途上地域・諸国の経済社会開発および福祉の向上を目的として供与されるもの」。
※ここでは代表的なものとして、政府・関係機関による政府開発援助(ODA)と国際機関による公的援助、そしてNGO による援助が挙げられています。

また、用語集では開発援助と似た意味を持つ言葉として「開発協力(development cooperation)」と「国際協力(international cooperation)」の2つも紹介されていました。*1 

次に「開発」の定義ですが、これも人や組織によって異なります。有名なものを二つ紹介します。

・国連開発計画UNDP・・・「人間開発」とは人々の自由を広げることであると定義し、経済の豊かさだけではなく、人々の生活の豊かさに焦点をあてています。 *2 

・参加型開発の父と呼ばれるロバート・チェンバースさん・・・開発は’good change’と、とてもシンプルに定義されています。

 ただ開発援助での文脈においては、書籍「開発援助の社会学」にある以下の定義が私にはしっくりきました。*3

「開発」とは「他者が意図的・計画的に働きかけることによって発展を促そうとする行為」

そして発展は物事が良い方向に変わることを意味するとしたうえで、以下のように説明されています。

「社会の発展」とは「社会が複合的・継続的に『良くなる』こと」

このようにまとめると、開発の定義は国を問わず全ての人や地域に当てはまりそうなのに、開発援助となると対象が発展途上国と定義された国が対象となることに改めて気づきました。

また、定義は多様でどの定義もなるほどと思う面があるのですが、開発援助に関わる際には自分なりの明確な開発の考えを持って、自分の行っている事業と、その考えにずれがないかを把握する必要があると感じています。

また、「開発援助の社会学」では開発に含まれる暗黙の了解について以下のように説明されています。

・一般に社会の発展のためには経済発展が必要だという考えが定着している。
・そのためGNP(国民総生産)など経済発展を示す指標が用いられることが多い
・この「発展」の方向性は「近代化」である、つまりは現在行われている多くの開発援助の目的は「近代化」となっている。

ここで指摘されている開発とは他者が意図的にある対象を良くしようとする考えであるが、その目的は近代化であることが多い、という指摘は重要だと思います。

では、「近代化」とは何か、そして開発援助が暗に意味するもは何かについては次の記事で紹介したいと思います。

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*1:■開発協力(development cooperation)
「上記の開発援助に加えて、その他の政府資金の流れ…及び民間資金…の流れを総計したものを広義の『開発協力』という」。「援助と協力の違いは前者が援助供与側から受け入れ側への片務的な性格が強いのに対して、後者には両者間の互換性が求められる点」。(この)捉え方や名称は、経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)で用いられているもので、日本では同様のコンセプトでも「経済協力」という名称が使われるようです。

■国際協力(international cooperation)
広義のとらえ方もあるが、「途上国の『開発』が一時的な目的として設定されているものがほとんどである」。つまりは開発協力とほとんど同義で使われている。
(注)なぜ同じ意味の言葉が2つもあるのかという点に対し、「開発援助の社会学」では考察されていたのは、「援助」(施しというニュアンスが感じられる)より「協力」(「互いが対等な立場で力を出し合うというニュアンス」)が好まれるのでは、というものでした。日本のODA(政府開発援助)を行う機関JICAが「国際協力機構」という名称であることが、この考察で腑に落ちた覚えがあります。

『国際協力用語集』、佐藤 寛 (監修), 国際開発学会 (編集) 

*2: ‘Human development – or the human development approach - is about expanding the richness of human life, rather than simply the richness of the economy in which human beings live. It is an approach that is focused on people and their opportunities and choices.’
About Human Development | Human Development Reports

*3:「開発援助の社会学」佐藤 寛  著

協力隊時代の勘違い②(反省点~次への対策)

前回の記事の続きとなりますが、今回は協力隊時代に派遣されていた学校に奨学金制度を紹介した後、私が反省したことを書きます。

1.一番の反省点
振り返って、一番の反省点は、私に「援助者」の覚悟がなかったことだと気づきました。援助において透明性を確保し公平に援助する必要性は知っていたのに、実行しなかったのでした。
私は奨学生を選ぶ基準を同僚と決め、「学力の高さ」は同僚の記憶、「経済状況」は生徒の発言だけを参考にしました。しかし公平性を保つなら、まずは学校長経由で学校に紹介すべきだったし、対象となる学年全員に周知し、希望者の成績や経済状況を具体的に調べる方法を考えるべきでした。周りの人には「仲が良い同僚のお気に入りの生徒に援助した」と思われて仕方がない対応でした。

2.原因:援助者になりたくないという感情
ではなぜ覚悟がなかったのか。原因は私にボランティアだけど援助者ではなく「同じ立場でいたい」「同僚として見てほしい」という強い気持ちがあったことだと思います。それは援助者となると対等な立場でなくなると思っていたからです。同僚も「君は仲間だ」と言ってくれていたし、私も文化に配慮して先生の一員としてなるべくとけこもうと努力していたのですが、国の税金を使ったODA事業の一環で政府機関から派遣されているボランティアである以上「違う立場」の人だったのでした。それなのに、つい周りに甘えて、勘違いしていたのです。

3.今後への学び:援助者の心得を忘れない
この体験とその後に読んだ本から、援助者の心得を理解する必要性を痛感しました。それは「開発援助の社会学*1という本なのですが、特に心に沁みたのは「援助はえこひいき」「よそ者のパワー」という言葉でした。
この本の第11章は「援助はえこひいきである」という言葉から始まり、誰を援助して誰を援助しないかは援助する側の論理(正義感や合理性など)によって決められることが多く、援助する側にとって公正でも、援助される側にとって公正に感じられないことがあり得ると丁寧に解説されています。
そして続く12章では、よそ者が持つ否定的なパワー、肯定的なパワーについて解説されています。重要なことは、自分がよそ者となる場所では普段とは違う「力」を持つことになり、良くも悪くも影響を与えてしまう、ということをまずは自覚することだと感じました。そしてその影響力をどう肯定的なものにするかは、援助対象者(とその周り)についてある程度知らないと分からないと思っています。援助を行う以上、「援助しない人」の状況も見極める努力をしないとその援助はえこひいきになり得るし、よそ者の否定的なパワーでその地域の人々に迷惑をかけることがある、としみじみ納得しました。

・・・これをするとなると、言い方は悪いのですが、本当に面倒くさい話です。援助するだけでも労力がかかるのに援助しない人への配慮が必要となると2倍以上労力がかかるのですよね。私の奨学金についても、学校長はあまり理解がある人ではありませんでしたし、同僚と仲が悪かったので、「より公平」なやり方をしたら何倍もの時間がかかったと思います。・・・でも公平な援助をしたいのであれば、そこをさぼるべきではなかったのでした。
奨学生が援助されなかった生徒からいやがらせを受けたり、逆に援助に甘えて勉強をさぼったりしなかったのはただの結果オーライでしたし、私が把握してない悪影響もあるかもしれません。援助されなかった生徒や先生の何人かには「やっぱり外国人と仲良くなる・気に入られると得だよな」という悪い考えや不信感を持たせてしまったと思います。

・まとめ
協力隊時代の勘違いにより、派遣先に悪影響を与えたことは本当に今でも申し訳なく、反省しています。この経験を話すと援助にあまりなじみがない人は「すごく良いことしたね」と感心し、援助に関わっている人は「やっちゃったねー」と苦笑いをされたりしました。個人的には良い影響もあったけど悪い影響はそれよりあったかもしれない、と思います。そうはいっても過去は修正出来ないので、今出来ることは「反省を次に生かす」そして「他の人に共有する」だと考えています。
たわいのない、初歩的なミスなのですが、誰かの参考になれば嬉しいです。 

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*1:「開発援助の社会学」佐藤 寛  著

目次が以下に掲載されています。

開発援助の社会学 - ジェトロ・アジア経済研究所

協力隊時代の勘違い①(きっかけ~結果)

今回は「開発援助」をどう捉えたら良いのか、重要な気づきを得た協力隊時代の経験を書きます。
簡単にいうと大きな勘違いをして落ち込んでいただけなのですが、そこから「開発」についてより包括的に学びたいと思うようになり大学院進学へと繋がりました。

誤解を避けるため最初にお伝えしたいのが、以下は私が賛成する考え方である、ということです。私の隊員仲間はこれとは違う考え方で活動し、成果を出し周りに喜ばれていました。当たり前ですが、人によって考え方は違って良いと思います。また、協力隊として要請されたメインの活動自体は派遣先の希望通りに実施したことも付け加えます。以下はメインの活動以外で私が行った経験からの反省です。

1.きっかけ
きっかけは私の派遣された国に、青年海外協力隊員有志による奨学金制度があったことです。この制度では希望する隊員は3人まで奨学生を推薦出来ます。日本と違い、公的な補助制度がほぼない国において、この制度はとても有益に思えました。

2.最初の気持ち
私は最初、この制度を利用する気はありませんでした。自分が派遣先に要請された活動ではありませんでしたし、求められていない援助を与えることは周りの人に悪影響を及ぼすと感じていたからです。そして周りの「外国人だからお金を持っていて、何かをしてくれるかも」という期待をいつも感じていたことも気になっていました。例えば、町で初めて会った人に、そして派遣先の同僚に、「私はこういう援助を○○に個人的に行っているんだが、君(もしくはJICA)も支援してくれないか」と言われることはよくありましたし、私と知り合いになって何かをもらおうとする人、日本に連れて行ってもらおうとする人・・・もいました。

日本であればその人との関係性によって何かを贈ったり助けたりは当たり前ですが、派遣国でそれをすると「お互い様」というよりは外国人による「一方向的な贈り物、施し」のような意味を帯びてしまうことも多く、相手を依存させてしまうと感じました。依存に慣れた相手は、自分で何かをしようと思うより先に、外国人に頼ろうとします。そして援助されたものを自分の利益に使ったり、必要ないのにあるだけもらおうとしたりどんどん悪い方向に進むことがあります。

隊員仲間でそういう人々を「援助慣れしている」と批判する人もいましたが、私は「慣れさせてしまう人にも問題がある」と考え、自分は相手を依存させないようにしようと考えていたのでした。

2.気持ちの変化
ただ半年も滞在するとクラスでも一・二を争う成績優秀で真面目な生徒でも、貧しくて高校に進学を出来ないことがよくあると分かってきました。中学までは義務教育でほぼ無料ですが、高校の授業料その他は生徒の出身家庭にとっては負担するのが難しい金額となります。私の活動地域はその国の中でも貧困率が高いと言われており、その時教えていた中学3年生の中にも進学が難しい子がいると分かってきました。そしてだんだんと「活動外だとか悪影響を与えるかもとか行動しない理由を正当化するより、今できることをするべきではないか」と考え、奨学金制度を紹介することに決めました。

3.実行
そこで一番信頼していた同僚にこの件を相談したところ、「それは良い制度だね。ぜひ今の3年生に紹介しよう!」とすぐにその人が生徒を3人選定、各々に家庭環境を聞き取り・・・と進み、瞬く間に奨学生3人が決まりました。私は展開の速さに驚きながらも、その3人の学力や勉強への熱意は授業を通して知っていたため、奨学生として問題ないようと考え、特に口を挟みませんでした。

そしてその日から明らかに一部の生徒との関係が変わりました。まずは知らない生徒から挨拶されるようになりました。奨学生には口止めしていたし奨学金がもらえるかは聞き取った状況を考慮して奨学金委員会が決めると話していたのですが、新しく来た外国人のボランティアの先生が奨学金を紹介してくれるらしい、と学校中に広まったのだと思います。挨拶を返しながら物悲しい気持ちになりました。

それから、奨学生に選ばれた生徒がものすごく私に気を遣うようになりました。もともと派遣校では生徒が先生に丁寧に接する文化がありましたが、その子たちが私と話すときに今までの気さくな感じがなくなって顔色をうかがっているのを感じました。その時、奨学金の紹介によって、生徒と私の間にはっきりと上下関係が出来たことを気づいたのでした。

また、同僚にのもとに自分にも奨学金が欲しいと言ってきた生徒が何人かいたと後から聞いて、彼にも迷惑をかけたと申し訳ない気持ちになりました。他の先生は何となく奨学金について知っていながら、遠巻きに見ている感じでした。

4.結果
奨学生は統一テストで優秀な点数をとり、奨学金を得てその地域でも一番の高校に進学しました。半年後、その子たちが学年でも上位の成績で学期を終了したと同僚経由で報告がありました。勉強を頑張った生徒たちは本当にえらかったし奨学金の意味はありましたが、私のこの援助方法は良くなかったしもっと悪い結果をもたらす危険性があったと本当に反省しましたし、落ち込みました。

では何が良くないと自分で感じたのか。それを具体的に分析せずもやもやしていたのですが、ある先輩にアドバイスを受け、書き出してみた所自分の反省点が分かりました。次の記事で紹介します。

大学院進学のきっかけ・コース選択の理由など

今回は私が大学院に行くと決めたプロセスについて書きます。例えば、なぜ開発援助に興味を持ったのか?進学をいつ決めたのか?専攻をどうやって選んだか?などです。
私の決定プロセスは一直線ではないのですが、迷っている方の参考になれば嬉しいです。

1.「開発援助」「国際協力」について、最初に興味を持ったのはいつか?
高校2年生の時です。色々なことに興味を持つ中で、「『世界の恵まれない人たち』について聞いたりするけど、その人達の生活は良くなってるのかな?ずっと『今この時にも飢えで死ぬ子供たちが毎秒◯人・・・』というのを聞いている気がするけど・・」とものすごく大まか、かつ無知な疑問を持ったのがきっかけです。

「開発援助」や「国際協力」定義は別記事で書いていますが、私が持っていた認識はJICAのホームページにある「国際社会全体の平和と安定、発展のために、開発途上国・地域の人々を支援すること」*1でした。その後大学では国際協力の講義をとったり、発展途上国NGOの活動を見に行ったりして、ますます興味を持ちました。

2. 大学院の進学について、最初に興味を持ったのはいつか?
社会人3年目です。理由は主に2つで、1つは山本敏晴さんの著書「国際協力師になるために」*2修士を持っていた方が良いと書いてあったのと、国際協力の仕事をしている知り合いは修士を持っていることが多かったからです。
ただ今感じることは、仕事内容によって求められるもの(専門性や経験)は違うので、修士を持っていない人も開発業界でたくさん働いているし、修士を持つからといって安定した・希望する仕事に必ず就けるわけでもないなあ、ということです。

3.いつ大学院への進学を決めたか?
入学の1年前です。協力隊で2年間活動を終えて帰国した際は、進学するかを迷っていました。ただお金を貯めるために援助関係の団体で働き始めました。そこで理論を実務に活かしている援助専門家とお話し出来たこと、「開発援助の課題」と言われるものは自分を含めた皆に関係することに気づき、大学院への進学を決めました。

4. イギリスに決めた理由は何か?
主な理由は2つで、1つ目は1年で修士が取れること、2つ目は大学院の詳細や進学方法など情報がたくさんあることです。実は授業料がイギリスより安いヨーロッパ(フランスやドイツは2年かかりますが学費ははるかに安いと聞いたため)で開発が学べる修士コースにも興味があり、欧州留学フェアに行ったりCampus Franceに質問したりしていました。ただ英語圏以外だと日本語や英語で手に入る情報が少なく、断念しました。(その際に参考にした留学フェアは*3をご覧ください。)

5.専攻を「社会開発」に決めた理由は何か?
一番興味があることが学べる、と感じたからです。ただ最初は「絶対にこの分野を学びたい!」というものが曖昧で、「開発」や「教育」専攻にも興味がありました。そのため、Google検索や本を読んで開発業界で働いている方の経歴や専門性を調べたり、聞いたことがある大学院のホームページでコース一覧を確認したりしました。また、イギリスで修士をとった方に質問したりしました。
最後はコースを「社会開発」に決め、大学院も3つに絞りました。手続きについては留学エージェントに相談しエージェントのアドバイスを元に書類を揃え出願準備をしました。

まとめ
私は優柔不断なため、大学院進学という大きな投資を決定するのにとても苦しみましたが、自分なりに調べて考えて決めるしかないと今は思います。当時は「大学院進学が自分の将来にとって役立つのか」「そもそも修士は必要か」と悩んでいたのですが、後で後悔したくないという気持ちで進学を決めました。振り返ると悩みすぎたなと苦笑いしてしまうのですが、結果的に進学して本当に良かったです。

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*1:国際協力の定義

国際協力とは | 国際協力・ODAについて - JICA

 

*2:書籍「国際協力師になるために」山本 敏晴 (著)

国際協力師になるために | 山本 敏晴 |本 | 通販 | Amazon 

*3:

留学についての参考にしたサイト、留学フェア
ヨーロッパへの留学は以下にある「欧州留学フェア(EHEF)」に参加したり「欧州留学ガイド」を参照しました

日本からEUへの渡航 - 欧州対外行動庁

イギリスへの留学は以下にある留学フェアに参加しました

beo 留学フェア 2020 spring|留学サポートのbeo

はじめに(ブログの目的など)

まず初めに、このブログの目的や自己紹介などについて書きたいと思います。

1.ブログの目的
このブログは、進学前に自分が知りたかったことを共有するために書いています。
「イギリス」の「大学院」で「開発学」を学ぶ、ということに長年興味を持っていたのですが、分からないことがたくさんありました。経験者は周りにもいたものの、あまり根掘り葉掘り聞くわけにもいかず・・・そんな時他の方のブログがとても役に立ったし面白かったのでした。そこで、私も特に以下3つについて共有したいと思い書いています。

2.知りたかったこと4つとカテゴリー
① 何を学ぶの?

「開発学」と言っても幅広いですし、どんな内容を学ぶのかとても気になっていました。そこで、ほんの少しではありますが、学んだ知識や文献を記事で共有しています。これに関する記事はカテゴリー「学び」としています。

② どんな感じで学ぶの?

ざっくりとした質問ですが、授業の進め方や先生や生徒の国籍や性格・・・そういった雑多な話に興味がありました。そこで、雑文のような自分の体験を書いています。カテゴリーは「体験」としています。

③ 学んで何が変わるの?

それなりの時間とお金を費やすからには、意識や行動に変化が生じるのではと思っていました。履歴書に「修士取得済み」と書いてより良い仕事をゲット!以外の大学院で学ぶ影響を書いています。カテゴリーは「学びからの気づき」としています。

④ 最低限何を知っとけばいいの?

これは人に拠って違うと思うのですが、大学院に進学して学びなおした、これは知っていた方が良いなと思った基礎知識についても書いています。カテゴリーは「開発基礎」としています。

3.この日記で気を付けたこと
①主観多めに書く
この日記は私が思ったことや学んだことを中心に書いているため、あまり役には立たないと思います。勉強の役に立つ情報が欲しい方は、他の方の素晴らしいブログをご覧いただければ幸いです。私は主観多めのブログ記事を読むのが結構好きなので自分も書いてみました。私(書き手)の見方に偏りがあることも考慮していただきながら、楽しんでいただけたら嬉しいなーと思っています。

②あくまでざっくり書く

ざっくりという言葉にはいくつか意味があるようですが、この日記での「ざっくり」とは「雑な」ではなく、「全体を大きくとらえる」という意味で書きたいと思っていました。そのため、雑にならないように他の人の意見と自分の意見を明確にする、細かな説明は本文ではなく出典で補足するなど気を付けました。

③難しいことはあまり書かない

私には開発援助や国際協力の話はとにかく難しいと感じることが多いため、大学生の時の自分(知識なし、難しい話きらーい)でも読めそうな文章を書きました。具体的には専門用語には説明を補足したり、手書きの絵をつけたりです。
ただ書いてみると基礎の中の基礎の話が多くて私以外みんな知っているかもと不安になったり、絵も文字もへにょっとしてるな・・・と気付いたりしたのですが、親しみやすいかもだしまあいっかーとか思ってそのまま載せています。

4.自己紹介
日記には、書き手のそれまでの経験や性格が影響してきますので、自分についても少し紹介します。地方都市出身、大学で国際関係学を学び、一般企業で数年働いた後、青年海外協力隊として某アフリカの国で先生として活動しました。帰国後、公的機関で数年働いて大学院に進学しました。
上記のため「開発について少し知っているのみ(専門的に学んだことはない)」「半年以上の海外滞在経験は協力隊のみ」です。アフリカ・アジア・ヨーロッパ数国は旅したことがありますが、その他の地域の知見は少ないと思います。また、性格は内向的な方で、大勢で飲んだり遊んだりするよりも、一人で本を読んだり少数の友人と遊ぶことが好きです。

・・・このブログのコンセプトは、(大学院を修了した)私による、(大学生の時の)私のためのブログ、です。大学生の私はこのブログを暇なときに読んでまあまあ楽しんでくれるのではないかと思っています。自己満足なコンセプトですが、自分以外で一人でも楽しんで読んでくれる方がいらっしゃれば、とても嬉しいです。