イギリス留学 ざっくり日記

大学院で社会開発を学んだ話

開発へのCriticalな視点①

今回はcritical thinking(批判的思考)ってこんな風に考えるんだなあ、と印象的だった授業について書きます。
それは秋学期、大学院に入学して最初に受けた「理論」の授業でした。第一回目だったので、まず授業の大まかな流れを説明した後、先生は大学院で開発援助の欺瞞を指摘し批判的に分析した学生のほとんどが、国際機関などの開発援助業界に就職する矛盾について説明されました。

・・・ここで少し話を進めると、確かに学ぶにつれて迷いが生じたりしました。2回目以降の授業ではほぼ全ての開発援助団体の欠点を学びました。例えば、国連関連機関や政府機関に対しては「大きな組織で現場のニーズを知らない人間によって作成された政策が実行されている」という指摘や、そしてNGOに対しては「資金不足のため政府などの助成金に頼らざるを得ず、把握しているニーズとは違うプロジェクトを行なっている」という批判などがありました。
また、「そもそも『先進国』が『途上国』の政策に口を出す開発援助というスキーム自体が植民地主義を引きずった考えであり、間違っている」と唱える学者さんもいたりします。そんな記事を何か月も読んでいると、沢山の欠陥を抱える開発援助のスキームに自分が関わるは良いのかという疑問を抱いたりしました。

・・・このようなもやもやした気持ちを今後抱くであろう生徒のために、この第一回目の授業では修士取得後に何をしたいのかを考えるヒントとして2種の議論が紹介されましたので共有します。

まず1つ目は人類学者達の開発への介入に対する立場の分類です。私含め人類学者以外にも参考になる分類なのですが、以下4つに分けられています。*1

1. Rejectionist (拒絶者)
‘one that sees the anthropologist's intervention as elitist or paternalistic, as something that necessarily reinforces the status quo.’
開発に介入することを否定的にとらえる考え方ですね。


2. Monitorist (観察者)
‘who simply diagnoses and creates public awareness of the problems associated with development’
この立場は現状を分析して開発の課題を伝える、淡々と学者としての仕事をする感じでしょうか。


3. Activist (実践主義者)
‘who…is actively engaged in development work’
学者としての知見を積極的に現場で生かそうとする立場ですね。


4. Conditional reformer(条件付き改革者)
‘who recognizes that anthropologists can contribute to the solution of Third World problems, but who also recognizes that their work in development programs and institutions is inherently problematic’
半々の気持ちで、自分たち学者の介入が第三世界の課題に役立つと思いつつも、自分たちの介入自体に問題があることも認めている、悩める感じですね。

授業では約80人ほどの生徒達に対して自分がどの立場だと思うかをオンラインで統計が取られたのですが、過半数以上が4の「条件付き改革者」、その次に多かったのが3の「実践主義者」でした。私自身は自分が「条件付き改革者」になりたいのかなと思っていますが、同じ「開発」に興味を持っている人でも各々立場が全然違うことを知れたことは、その後の授業で他の生徒と話す上でとても良かったです。(例えば1の『拒絶者』の人と議論すると開発援助を全否定なので自分の意見に自信がなくなったりしたのですが、目指している方向が違うことを思い出して、どちらかが正しいではなく、違って当たり前だと思えたりしました。)

そしてこの授業で進学前の疑問が解消されました。それは、開発そしてそれに関わりの深い開発援助を大学院で高額な費用と貴重な時間を費やして学んで、それが「修士取得」と履歴書に書ける以外の何の役に立つのかな?知識や人的ネットワークは仕事や自力でも得られるのでは?というものでした。でもこの授業を通して、批評的思考を知り、先生や生徒と話し、自らの考えを深める、を行うには学校という場が最適だと実感することが出来たのでした。

それでは次の記事では、授業で紹介されたもう一つの分類、近代社会の捉え方について書きます。

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*1:この説明は以下の文献にあるGrilloさんの論文のまとめを抜粋しました
‘Anthropology and the Development Encounter: The Making and Marketing of Development Anthropology’, p.672, Arturo Escobar著

※上記文献で参照されているGrilloさんの文献は以下です
‘Applied Anthropology in the 1980s: Retrospect and Prospect’, Ralph Grillo and Alan Rew, 編著

良い援助とは何か例えてみた話

今回は良い援助とは何かについて考えたことを紹介します。援助で何が重要かを理解するために、援助を「ご飯」に例えて考えてみたのですが、自分にとっては腑に落ちる部分があったので紹介します。 

まず何故この変な例えを考えるに至ったかを説明しますと、一番の理由は援助の評価が千差万別で私が混乱していたからです。私は大学院で学んで、色々な意見を知りつつどれを自分が重要視するかを決めたいと考えていました。でも色々な考え方があって、どう判断すべきか分からず困っていたのでした。私の所属するコースはどちらかというと資本主義に反対する論調が多いのですが、きっと経済学関連のコースでは読む論文なども違うのではないかなと思っていました。

そこで、自分が援助よりもう少し詳しく知っている「ご飯」を当てはめてみたのでした。まず、食べる・作るは毎日しているので、どんなご飯が良いか、についてはどんな援助が良いかよりイメージしやすいです。また、援助の判断には価値観が深く関係しますが、頭で考えるだけだと分かりにくい。でもご飯は味・においなど五感を使って判断するので分かりやすく感じました。そこで以下のように例えてみました。 

・Aはご飯を食べる人=援助される人(開発途上国の住民)。 Aはお金がなく一日一食の生活でお腹がすいています。 
・Bはご飯を作る人=援助活動を実際する人(援助機関から途上国に派遣される専門家など)。 Bは自分の料理で人を幸せにしたいと考えています。
・Cはレストランを経営する人=援助に必要な資金や物品を提供する人(援助を調整する機関の管理部など)。 Cはお金は十分稼げたので、社会貢献もしたいと考えています。
・Dはその結果、A に提供されたご飯=援助されたもの。

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そして、Dという援助(ご飯)の評価に影響する要素を①~⑨まで考え付きました。

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特に3者の価値基準(①③⑥)、社会環境(②⑤⑦)は判断に大きく影響すると考えています。進学前の私は、特に大学院で以下3つを勉強したいと考えていました。 
①援助されるAの価値基準
⑧援助方法(どのような援助手法を用いるか等) 
⑨援助内容(教育なのか起業支援なのか等) 

ただ、授業を通して驚くことが多かったのが個人の価値基準(①③⑥)は、違うんだなあということです。同じく援助側にいる援助実践者Bと援助管理者Cですら合わせるのが難しいこともあります。また、通常のレストランであればAはお金を払って料理を食べるわけですが、援助の世界では援助されるAがお金を払う機会はあまりありません。だから評価が更に難しくなります。 
つまりこの例では食事の好みが違う人々が関わるので、何が良いご飯か(何が良い援助か)が違うのは当たり前だと分かりました。そして良いご飯といっても「美味しい」「健康に良い」「見て楽しい」と何を重視するかは依って違うとも思います。

例えば、経営者Cがある地域に住むAはお金がなくご飯が満足に食べられないと知り、「自分の好きなスパイスたっぷりカレーライスをご馳走してあげよう」と援助するとします。援助されたA は実は辛い物が苦手、でもご飯を買う余裕がなくて経済的には助かるので無理に食べるということがあったとして、この時に浮かぶ疑問点としては以下があります。

1) お腹は満たされたけど、苦手なもの食べてAの具合が悪くなった場合、Aにとってそのご飯(援助)は「良かった」のか? 
2) その後Aが今度はカレーライスではなく野菜スープとご飯を援助して欲しいといったときにCは援助を続けるか?(Cは自分の善意が拒否されたと怒るかもしれませんし、カレー専門店の経営をしていて、「貧しい人を救ったカレー」として宣伝したかったかもしれません。) 
3) 無料で提供されたご飯の内容に変更を要求したAは我儘なのか? 
4) 良かれと思って作ったカレーでAの具合を悪くなったと知ったB。その後Bは「自分はカレーが苦手だと言わなかったA」「Bの好みを確かめずにカレーを提供してしまった自分」「Aの意見を聞かずにカレーを作らせたC」の、どれに原因を見出せば良いのか? 

言葉遊びみたいですが、こう考えると被援助側と援助側の価値観の違いが分かりますし、ここに社会環境も影響します。極端な話ですがなじみのないカレーのスパイスの香りで隣の人から文句を言われると、自分が美味しいと思ったカレーでも次はいらないと思うかもしれません。 

この援助をご飯に例えて考えた結果、開発援助においてBの援助者を目指す私が「変えられる」のは基本的に自分の④知識、能力、⑧援助方法、⑨援助内容だと気づきました。また、「自分の」③価値基準も柔軟にすることで、Dの援助を良い効果のあるものにしていくことが私の重視することだとやっと分かりました。(もちろん人の料理の好みが状況や体調で変わるように、キッチンを使いやすく変えたら料理が美味しくなるように、個人や社会の価値基準が変わることはあると思います。)

この例から改めて、私は物事を「改善」したい場合、まずは自分の行動を変える考えが好きだと分かりました。それは自分から、相手を理解したり交渉したりすることだと考えています。反対に、私が一番嫌なのは自分と違う「価値観」や「規範」を悪いと決めて変えようとすることだとも感じました。そして変わらなかった相手を責めることも苦手です。
それはこの例で行くと「みんながカレーを食べるべきだし、カレーを美味しいと思わない人はおかしい」と主張するようなものだからです。「より良い世界に変えよう!」って言ったとき、誰にとって「良い」のかを具体的に考えないと、逆の影響があるかもしれないことを自覚する必要があると思っています。 

ちなみに前ページの例の改善案を考えたのですが、 
・Cがスパイス栽培会社をAの住む地域に設立、 
・そこで働いたAは給料で好きなご飯が買えるようになり、 
・料理人Bはその会社の食堂で美味しいスープ(スパイスありなし選択可)を作ったりしながら、Aに地元の料理の作り方を教えてもらって更に料理人としての腕を磨く・・・
というのが皆にとって利益があると思える、私が良いと思う援助の方法です。

ちなみに何でカレーが例えに出てきたかというと、これを考える前にシェアハウスでカレーを美味しく作れて幸せな気持ちになったのは良いものの、共同キッチンにニンニクとスパイスの匂いが充満したので焦って窓を全開にして喚起を試みたせいだと思います。 とりあえず匂いは緩和したしカレーは美味しかったですし、少し変わった例を考えた結果、自分が大学院で得たいものがクリアになり良かったです。

開発・社会開発の基礎を学べた本

今回は開発と社会開発の基礎を学べた本を3冊ご紹介します。

私は大学院で勉強をして改めて、自分の基礎知識不足を痛感しました。大学院での必須文献は中級レベルで、歴史的背景や関連情報について知らないと少ししか理解できなかったからです。そのためまずは日本語の入門書で基礎を学んだ後に再度大学院の文献を読んだところ、読む速度や理解の深さが驚くほど向上しました。
たくさん素晴らしい本があると思うのですが、私が調べた範囲で特に勉強になった3冊をご紹介します。内容が気になった方は、目次も是非ご覧下さいませ。

1.「開発」を包括的に学べた本

「国際開発論」斎藤文彦
内容:21世紀の国際社会の合意である「ミレニアム開発目標」の実現によって、いかに貧困を削減するか。近年、欧米で盛んな開発研究の成果をふまえつつ、著者の体験を交え、開発途上国の抱えるさまざまな問題とその解決策を総合的に考察する。(「BOOK」データベースより抜粋)

この本を読む前には私の中で基礎が整理できていないため、大学院の必須文献を読むと基本的な疑問がいちいち浮かんできました。例えば、「貧しさの定義の話になると、絶対的貧困とか人間開発指数とかいっぱい出てくるけど、最低限どれを知るべきなの!?」といった混乱や、新自由主義とか脱開発とか当たり前のように出てくるけど何のこと!?私の周りでそんなこと知ってる人ほとんどいないよ!?(逆ギレ)」といったもやもやです。その後、この本に載っている図解や分類を読んでやっと「なるほど!」と全体を理解することが出来ました。

・目次は以下からご覧になれます。
国際開発論|日本評論社
・第1章「国際開発論とは何か」が以下から試し読み出来ますhttps://www.world.ryukoku.ac.jp/~fumis96/firstchapid.pdf

 2.社会学から見た「開発」について学べた本

「開発援助の社会学」佐藤 寛 著
内容:20世紀に人類史上初めて登場した「開発援助」という現象は、価値観を異にするアクター間の相互行為である。援助をはさんで向かい合う「援助者=我々」と「被援助者=彼ら」の間に生起する事象の考察を通して、関与の学としての「開発援助の社会学」を模索する。(「BOOK」データベースより抜粋)

 この本からは、開発の基礎と共にそれを社会学でどう捉えるのかを学ぶことが出来ました。前半は理論、後半は事例が紹介されています。私はこれを協力隊で活動をしている時に人から勧められて読んだのですが、自分が何となく疑問に思っていたり悩んでいたりしたことが、理論と実践に裏付けされた・明確な・分かりやすい言葉で説明されていて本当に感動しました。この本から得た様々な気づきが、私のその後の後半の質を上げ精神的にも支えてくれたと思っています。

・目次は以下からご覧になれます
開発援助の社会学 - ジェトロ・アジア経済研究所

3.社会開発について学べた本

「テキスト 社会開発」佐藤 寛、アジア経済研究所開発スクール 編
内容紹介:貧困削減の手法として、近年注目を浴びる社会開発。その狙い、手法、課題を、具体例に則しつつ現場経験豊かな執筆陣が説く。(「日本評論社」ホームページより抜粋)

それまで何となくしか理解していなかった社会開発について、基礎から分野別の開発課題までコンパクトに分かりやすくまとまっています。この本を読んで「開発」と「社会開発」の共通点・異なる点を理解することが出来ました。

・目次は以下からご覧になれます。
テキスト:社会開発—貧困削減への新たな道筋— - ジェトロ・アジア経済研究所

上記3冊は、一度読んで概要を理解して、授業や課題で関連する話題が出たら読み直す、という形で参照していました。その他には、各モジュールの先生が推薦文献として挙げられていた入門書的な本もとても役立ちました。
また、余談ですが、先輩から受けたものすごくためになったアドバイスが、大学院の課題文献で日本語の翻訳版があれば、それを読む!というものでした。
私は事前に同じコースを修了した人に過去のハンドブック(必須・推奨文献がたくさん掲載しています)を共有してもらえたので、日本で手に入る書籍は事前に読んで大事な箇所はスキャンしたり、タイピングしてまとめたりしました。なぜかというと本によっては電子書籍がなく、国外に出ると手に入れるのに郵送費がかかってしまうからです。英語文献をたくさん読み慣れることは大切なのですが、母語(日本語)で理解すると英語の文献も早く理解出来たので、使い分けが大切だと感じました。

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「社会開発」の定義

今回は「社会開発」とは何かについて書きます。
友達に「『社会開発』って何?『開発』と違うの?」とよく聞かれたのですが、学ぶ前は私もよくわかっていませんでした。今はざっくりした解釈として「開発って経済的な発展のことだけじゃないよね!社会的なことも大事よね!」というのが社会開発の考えと理解しています。

私の解釈はさておき、インターネットで調べると以下定義があります。
社会開発とは「経済開発の進展に伴う国民生活への有害な影響を除去または緩和するために、保健衛生・住宅・雇用・教育・社会保障などの公共的サービスの増進を図ること。」*1

また「テキスト 社会開発」という本に載っていた説明も以下ご紹介します。*2そこでは「社会開発を一義的に定義することは困難」だとしながらも、社会開発に含まれる要素5つ、誤解6つが載っていました。
社会開発に含まれる要素は「経済開発ではない開発」、「個人よりも社会全体を対象とする」、「潜在能力の発揮を目指す」、「当事者の主体性」、「外部者による意図的な働きかけ」の5つです。そしてこれを以下のようにまとめられています。

社会開発が話題になる場合には「①経済的・量的な成長とは異なる基準で社会の発展を捉えようとする視点、②社会の成員を取り巻く社会環境に働きかけることを重視する点、③個々人の潜在能力の発現を目指す視点、④当事者の主体性を重視し、変化の結果のみならず過程(プロセス)を重視する点⑤外部者の働きかけのありかたを重視する点、のいずれかの要素(場合によっては複数の要素)が含まれており、こうした要素が社会開発の中心的な概念を構成していると考えられるのである」

また社会開発をめぐる誤解6つを挙げられる中で「誤解1:社会開発とは社会セクターの開発のみを指す」や「誤解4:経済成長の否定の上に社会開発が登場した」は私も抱いていた誤解なのでとても興味深く読みました。

誤解1の説明として、一見インフラ建設は社会開発とは無関係に思えますが、「多くのインフラプロジェクトにも必ず社会開発的な側面が含まれうるのであり、社会開発とは開発の全てのセクターに関する問題」と書かれています。また、誤解4の説明として「批判されているのは経済成長『のみ』に開発努力を注入し、分配の問題を顧みない事である」とあります。

大学院の社会開発コースの「概論」の授業で学ぶ内容も、教育・マイクロファイナンス・気候変動・・・と幅広いテーマを扱っていました。ただやはり社会的文脈をより重視し、既存の開発援助の中で使われる量的な基準を批評的に分析する、という点は共通していたように思います。Social Capital(社会関係資本)という言葉も頻繁に使われます。これは「社会・地域における人々の信頼関係や結びつきを表す概念」*3なのですが、よく出てくるのでつい日常生活でもたくさん友達がいる人に対して「あの人のsocial capital半端ないわー」と使ってしまうほどでした。

社会学」との関係は?
私が社会開発に興味をもったきっかけが「開発援助の社会学」という本だったため、「社会開発」と社会学の関係性について疑問に思っていたのですが、ある本で「開発の中で社会学の知見が一番生かせるのが社会開発」という文章をみて納得しました。
また「名古屋大学大学院国際開発研究科」*4のホームページには「社会開発」の説明に以下一文が含まれています。

「社会開発分野で扱う具体的な研究課題には、ジェンダー、教育、保健・医療、貧困、参加型開発、紛争などがあります。こうした課題を研究するのは、社会学者でなければいけないというわけではありません。実際、多くの経済学者や政治学者が、社会開発分野の研究課題に取り組んでいます。」

これを読んで「良かったー社会学を知らなくても大丈夫なのね」と安心していたのですが、社会開発コースの授業で説明では社会学の基本用語も多く出ていたので、知識のない私はいちいち検索する必要がありました。調べるのは大変でしたが知ってみるととても面白く、自分の関心に合った内容でした。

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*1:大辞林 第三版)

*2:「テキスト社会開発」(佐藤寛、アジア経済研究所開発スクール編)

*3:社会関係資本の定義
社会・地域における人々の信頼関係や結びつきを表す概念。抽象的な概念で、定義もさまざまだが、ソーシャルキャピタルが蓄積された社会では、相互の信頼や協力が得られるため、他人への警戒が少なく、治安・経済・教育・健康・幸福感などに良い影響があり、社会の効率性が高まるとされる。「デジタル大辞泉

*4:名古屋大学大学院国際開発研究科」

社会開発 | 国際協力専攻 DICOS

人権についての考え方②(子どもの権利について)

前回の記事に書いた人権の議論に続いて、2つ目の議論である子どもの権利について書きます。

世界人権宣言の考えを子どもに当てはめたものが1989年の国連総会で採択された’Convention on the Rights of the Child’(UNHCR)、「子どもの権利に関する条約」です。子どもの権利について特になるほどーと思ったのは以下の3点です。

1.子どもの権利は、主に3つのP、Provision(供与)、Protection(保護)、そしてParticipation(参加)でグループ分けされる。
3つのPは、成長に必要な食べ物などを供与(Provision)され、虐待などから保護(Protection)され、自分に関する決定に参加(Participation)する権利です。(これにPreventionを入れて4つのPとすることもあるようです。)そして参加する権利は特に議論の的になります。なぜなら子どもが「参加」するにあたってどの程度その子たちの意見を取り入れるべきか判断が難しいからです。
例えば、義務教育はUNCRCの28条に定められており、子どもはそれを拒否出来ません。でも「義務教育ではなく違うことがしたい(例:カリキュラムにない科目を勉強したい)」という子どもの意見もあると思います。また、このUNCRCの特徴は子どもに関する限り「最善の利益(the best interest)」を第一に考えることが重要視されることです。*1

2.子どもの参加する権利に関する議論の争点は、子どもの’Competencies’(能力)がどの程度あると認めるかである。
能力といっても身体的、知的、社会的な能力と様々考えられますが、大人と同じ能力があると考えるか、まだ成長途中であるため大人よりは未熟であると考えるかの主に2つの捉え方があります。この捉え方について、David Arehatdは’Child liberalists’(子どもに権限を与えたい大人)と、’Child care takers’(子供を守りたい大人)に分けました。ただ能力については個人差もありますし、大人と同じ権利を与えることで逆に子供の負担が増えるのではという考えもあります。個人的には、状況や人に拠ると思います。

3.普遍主義のUNHCRと異なる、アフリカ諸国版の子どもの権利もある
文化相対主義の考えの一つとして、アフリカ諸国の文化を反映した’The African Charter on the Rights and Welfare of the Child’が作成され、1990年にアフリカ統一機構 (OAU) で採択されたそうです。*2 ちなみにOAUは今はアフリカ連合という名前になっています。

アフリカ憲章とUNCRCの大きな違いは、子どもの「責任」について書いていることです。例えば13条では子どもの責任について、’ (a) to work for the cohesion of the family, to respect his parents, superiors and elders at all times and to assist them in case of need;’ということも書いてあり、権利とともに家族への責任にも焦点が当てられています。一方、UNCRCは親の子どもへの責任は書いてありますが、子どもの責任についての記述はありません。

これで思い出したのが、協力隊時代に自分の考えと現地の考えに違いを感じたことです。私は子どもの教育を受ける権利しか頭になかったのですが、子どもが学校に行かずに家の手伝いをするという状況がみられるのは経済的な原因や教育の価値が理解されていないことに加え、この集団の責任という文化の考えに拠っていたのだなと思います

また、経済的に余裕がない家庭出身の生徒が、色々苦労してやっと受給できた奨学金で高校に入学した時のことも思い出しました。「奨学金の使い道」について聞かれたときに彼女が「親に一部あげた」と言ったので当時の私は衝撃を受けました。個人的には彼女になるべくお金の心配がない学校生活を送ってほしかったので進学するために全部使って欲しいと思ったのですが、このアフリカ憲章の内容を考えると、彼女をとりまく社会的文脈では当然とされる行為だったのかなと気づきました。

私は子どもを保護しなければという気持ちが強く、UNCRCの考えの大部分に賛成していますが、そうでない考えも理解する必要があると今は感じています。

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人権についての考え方①(普遍主義と文化相対主義)

今回は春に受講した「子ども」についての授業で学んだ、人権について紹介します。

この学びが印象的だったのは私が社会課題を解決すべきと憤る時、「なんてひどい!これは人権を侵害しているのでは!?」と考える傾向にあったからです。でもじゃあ人権って何?と問われれば「国連が決めたもので、皆に権利があって、えっと・・」と曖昧だったのでした。

特に「権利」の考え方の文化的な違い、そして「子どもの権利」に関する議論の2つについて書きます。ここで書くことは授業で使ったテキスト*1 を参照しています。

まず、権利の考え方についてです。授業で人権に対する考え方として、まず国連が掲げる人権の概念である’Universalism’ (普遍主義)について説明されました。ただそれはヨーロッパの数国の価値が強く反映されており、この普遍主義の考え方に反論して文化を尊重する’Relativism’(文化相対主義)があると知りました。

特になるほどーと思ったのは以下2点です。
1.「人権」の考え方の変遷
個人が等しく同じ権利を持つという考えは約200年前にフランス、アメリカの革命で初めて掲げられていますが、この時は権利の対象として女性、子ども、奴隷は想定されていませんでした。でも第2次世界大戦後の1948年に「世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)」を「すべての人民にとって達成すべき共通の基準」として国連で採択されました。*2 その権利は’inherent(生まれながらに有し)’かつ‘inalienable(譲渡され得ない)’というのが特徴で、国籍、性別などに関わらず全ての人の人権を謳っています。

2.普遍主義的な考えに反する文化相対主義的な考え
世界人権宣言の考えは西洋(ヨーロッパの数国とアメリカ)の価値観に根差しているため、自分たちの文化に合わないという考えもあります。特にすべての個人が独立した存在であるという考えは、人を個人というよりも集団の一員として考える国の文化とは異なります。

日本も例に出ていて、人類学者のGoodmanは日本に「権利」という概念とともに「個人」という考えが紹介されたため、現在でも日本では個人主義的な考えが時に「我儘」ととらえられることがある、と述べています。そして儒教の影響が強い国では、個人よりも集団が強調される傾向にあることも指摘されていました。また。普遍主義的な権利は一般化しすぎており、各国の国内法では内容をより詳細に決めなければならないという意見もあるようです。

これを学んで思い出したのが、秋学期の授業で教育について議論した時のことです。私は「全ての子どもには教育を受ける普遍的な権利がある」と発言したのですが、担当の人類学者の先生が「そうだね。でもどんな教育が良いのか、ということを考える必要があるし、押しつけにならないよう配慮が必要だね。」と軽くたしなめるように言ったのです。

その時は「当然の話をしたのに同意を得られなかったのはなぜなんだろう」とうまく理解できなかったのですが、暗に指摘されたのは「教育とは自分も受けてきた、学校でカリキュラムにそって行われるヨーロッパの影響を受けた勉強形態である」そして「普遍な権利という考えは万国共通である」という私の思い込みだったことを、春の授業で自覚出来ました。

2つ目の子どもの権利ついては次のページで書きます。

*1:‘Understanding Childhood: an interdisciplinary approach’, 2003, ed Moodhead, M. and Montgomery, H. Chichester: John Wiley and Sons.
https://capitadiscovery.co.uk/mmu/items/1541052

*2:世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)http://www.un.org/en/universal-declaration-human-rights/

DecolonizationとAlternatives(開発に代わるもの)について

今回はDecolonizationとAlternatives(開発に代わるもの)について書きます。授業ではDecolonizationと開発について話されることが多く、この議論から開発と近代について理解を深めることが出来ましたので紹介します。

 Decolonizationとは辞書*1によると「脱植民地化」や「植民地的支配からの解放」とあります。無知だった私はdecolonizationと聞いて、「あれ?でも植民地支配は終わってどの国も独立してるよね?」と思ってしまったのですが、開発(援助)を通じて今でも旧宗主国の支配・干渉は植民地時代と同じように続いている、それに抵抗をしなければと考える人々について知りました。

脱開発を推進する人々によると、主流の開発の考えはヨーロッパの数国が経験した近代化を元にしているため、経済成長への偏重や、ヨーロッパ中心主義への信仰が含まれています。そして開発の目標とされるmodernity(近代性)はcolonialityとセットになっていると考えているため、Alternatives to development(開発の代わりとなるもの)を模索します。この方々はAlternative development(既存のものとは違う開発)という考えにも反対しています。

Colonialityは耳慣れないことばで英和辞書にも該当する意味では載っていません。Maldonaldo-Torresさんという方は「植民地主義の結果として現れたが、植民地政権の厳しい限界をはるかに超えた文化、労働、相互主観的関係、知識生産を定義する長年にわたる権力のパターン」と定義しています。*2
これはColonialism(植民地主義)がまだ存在していたころは外国による直接的統治の押しつけが蔓延しており、戦後のDecolonization(非植民地化)によって宗主国が植民地から引き揚げその支配から逃れたかと思いきや、colonialityによる支配は続いている、という考えです。

では、開発の代わり’Alternatives’は何か?について授業で学んだものをご紹介します。*3

まずよく出てきたものはラテンアメリカン諸国のBuen Vivir(ブエンビビア)です。英語では’good living’と訳され、人間が自然と調和して生きる考え方のようです。近代性が人間から自然を切り離したのと対照的ですが、ボリビアエクアドルでこのBuen Vivirを基にした憲法が作られたことからこの考えが有名になりました。
また、授業では少ししか触れられていなかったので私も詳しくは知らないのですが、メキシコではZapatistasという社会運動が、アフリカでは`Ubuntu`という考えが、開発に代わる考えとされているようです。まだこのAlternativesがどう展開するかは長期間の試行錯誤が必要だと思いますが、開発援助を「近代性の押しつけ」と考える人々がいると認識することは、重要だと感じました。

脱開発の考えは私には過激と感じる部分もあります。ただ、近代性に部分的に賛成しながらも、違う形の生活を模索した方が良いと思うため、この考えがとても響くのかもしれません。

また自分を振り返ってみると、開発援助を知るにしたがって「近代」の負の部分を自覚したような気がしています。例えば、協力隊の2年間が終わった後、物欲が以前ほど湧かなくなりました。派遣国の田舎で少ない持ち物を使って、限りある井戸の水、それほど選択肢のない食料を食べて暮らす中、少し不便だけれど十分幸せだと気付きました。ネットも繋がりにくかったので情報も入ってこず、人と比べて落ち込むことも少なくなったので、いかにこれまで自分が情報に振り回されていたのかも気づきました。逆にメディアなどを通じて消費活動=幸せという考えを刷り込まれ、追い立てられていたのかもしれないと考えました。

もちろん、近代化して物質的に豊かになった結果、良いことがたくさんあったと思います。生きていくのに精いっぱいだった祖父母の話を聞くと、その時代に比べ自分がいかに恵まれているか感じることもあります。でも近代化の負の部分を明確に気づかせてくれた協力隊の経験やその体験を整理できた大学院での学びは、とても貴重でした。 

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<その他参考>

ご参考にPost-development(脱開発)と西洋の近代性を全て否定するAnti-development (反開発)の考えの違いの表を紹介します。出典は上記3と同じ書籍(‘Introduction to international development~’)です

Anti-development

Post-development

Rejection of Western modernity

Some elements of modernity can be useful; hybridization of modernity and tradition

Return to subsistence agriculture

Different (also Western) lifestyles possible; no universal blueprint

Valorization of cultural traditions

Cultural traditions not necessarily superior to the West

Culture as static

Culture as dynamics; constructivist view of culture

Sources: Hoogvelt(2001); Ziai(2004)

*1:新英和大辞典、ジーニアス英和大辞典

*2:Colonialityの定義
‘Long-standing patterns of power that emerged as a result of colonialism, but that define culture, labour, intersubjective relations, and knowledge production well beyond the strict limits of colonial administrations.’ (“ON THE COLONIALITY OF BEING”, Maldonaldo-Torres 2007)より

*3:Buen VivirなどのAlternative についての出典
‘Introduction to international development : approaches, actors, and issues’ third edition, ed. by Paul A. Haslam; Jessica Schafer; Pierre Beaudet,

Introduction to International Development: Approaches, Actors, and Issues (3rd Revised edition) | Oxford University Press

「貧困」の定義と測り方②「貧困をめぐる議論の側面」

前回の記事で紹介した「代表的な貧困指標」は定量的なものが多い感じがしますが、もう一つ「貧困を巡る議論の側面」9つを紹介します。これは大学院の「理論」の授業でおすすめされていた本*1 に載っていました。

◆貧困をめぐる議論の側面

これはMaxwellさんという方の論文*2 をまとめたものです。

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 9つもあると頭が混乱してしまうのですが、1つ1つはなるほど、という感じです。
例えばある授業では4つ目の項目(「瞬間」か「期間」か)に焦点をあてた論文を読みました。その論文では、5年以上貧困状態にいる人々のグループを「慢性的貧困」 (chronic poverty)として他のグループ(調査時に貧困だった人々)と分ける意義を、その慢性的貧困は代々引き継がれている可能性が高く他のグループと異なる解決策が必要だから、と説明されていました。
そしてそれは5項目目の「実際の貧困」と「潜在的貧困」にも繋がり、貧困の原因を代々引き継いでいる人々(例えば自分の所有する土地がない、遺伝性の病気のため家庭内の健康な稼ぎ手が少ないなど)は天災や事故などの有事への耐性が弱く、他のグループよりもより貧困状態で苦しむ可能性が高い、ということも分かります。
大学院で様々な貧困の定義やその測り方を学び直すことで、開発援助に対する考え方がより整理されました。そして人々をある「援助対象者」や「貧困層」といったグループに分ける時、その前提となっている指標が適切かを吟味しないと、どの援助が適切かも正しく分からないと痛感しました。

*1:‘Poverty and Development: Into the 21st Century‘, Allen, Tim and Thomas, Alan, eds
Poverty and development into the 21st century - LSE Research Online 

*2:‘The Meaning and Measurement of Poverty’, Simon Maxwell.
https://www.odi.org/sites/odi.org.uk/files/odi-assets/publications-opinion-files/3095.pdf 

「貧困」の定義と測り方①「代表的な貧困指標」

今回は貧困や指標の定義を一部ご紹介します。

というのも、大学院で良く使われている定義を学び直して、今まで疑問だった「開発援助でどうやったら貧困をなくせるか」「どの貧困指標が良いのか」について答えが分かったからです。その答えは「定義に依る」。・・・つまりは、何を「開発」そして「貧困」とみなすかで使う指標は違う、ということでした。単純なのですがとても頭が整理されたので共有します。

まずなぜ私にとってこの学びが重要だったかの説明として、個人的な進学前の考えや進学後の気づきについて書きます。私が開発援助に興味を持ち始めた大学生の頃は、「貧困削減」が開発の目標であると考えていました。ただその後、事例を知ったり協力隊としていわゆる開発途上国で生活をしたりして、援助が貧困を悪化させる可能性や自分の貧困の定義が経済的な側面に偏っていることに気づきました。

そして大学院の授業で1949年のトルーマン大統領の就任演説で「開発途上国の低開発は解決すべき」と宣言したことが「開発」の概念に大きな影響を与えたと学んで、この宣言が暗に肯定している「近代化」の良さを私も信じていたのだと気づきました。また、1950年代に経済発展を目的として始まった開発援助が、その後状況に応じて概念も測り方も変わり続けていることも知りました。そしてどの指標を重視するかで、自分や他の人(又は組織)の信じる価値観を分かるようになったのでした。

それでは特に頭の整理に役に立ったまとめを2つ共有します。

1つめは「国際協力用語集 第4版」*1 に掲載されていたのですが、貧困指標の代表的な手法として以下5つが掲載されていました。

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この代表的な指標のまとめは、文献に色々な指標が出てきて頭が混乱したときに見直したりしていました。次のページでもう一つ役立ったまとめを紹介します。

*1:『国際協力用語集』、佐藤 寛 (監修), 国際開発学会 (編集)
国際協力用語集【第4版】 - 国際開発ジャーナル社 International Development Journal

開発援助が暗に意味するものや留意点

今回は、前の記事の定義に続いて、開発援助が暗に意味するもの、その留意点について書きます。この内容は主に書籍「開発援助の社会学」から引用、そして参考にしています。*1

まず開発援助は暗黙のうちに近代化を肯定しています。では近代化とは何なのか?
これも定義は様々ですが、この本の26ページでは「近代化」の構成要素として「工業化」「民主化」「都市化」などが挙げられています。*2

その近代化は産業革命によって推進され、産業革命は資本主義の下で行われました。そして「近代」の起点は、西欧での一蓮の「市民革命」であり、近代化の推進力となったのは十八世紀後半のイギリスに始まる「産業革命」です。 つまりは、主流の開発援助はヨーロッパの数国を起点に始まった「近代化」、「資本主義」、「経済発展」を肯定しているのでした。
このことについて「開発援助の社会学」では以下のように指摘しています。

「こうして発展とは近代化することである以上、発展を手助けする開発援助は近代化を促進するための営為として位置付けられることになるのである。 これは援助する側が『近代化論』を信奉しているかどうかにかかわりない現実である。」42ページから引用

「現実分析を飛ばしていきなり理念に飛躍することは、『開発』プロセスが内包する『近代化思考』に関する考察を置き去りにしてしまう危険性をはらんでいる」「本書でも述べたように、現在観察される『開発』とは『非西欧社会の西欧モデルの近代化』という、きわめて文化拘束的な現象だと考えられ、その方向性への吟味なしに援助や開発を語ることは再び近代化論の陥穽に陥ることになる」190ページから引用

 「陥穽」とは落とし穴のことだそうで、私は近代化についてあまり認識せずに開発援助に関わり始めたので、この文章を読んでとても反省しました。
また、この本で書かれている「開発援助」に関わる際の留意点もとても重要だと考えました。ここでは「援助」は社会的行為で、「開発援助」は「社会の発展を目指して行われる、外部からの資源投入」 と定義され、以下の点が説明されています。(52ページの内容をまとめています。)

・資源には有形・無形の両方が含まれる
・開発援助とは「一方的な資源の移転」その意味で、贈与の一形態とみなし得る。
・同じ資源が贈与されても、両者の関係性、インフラ整備状況、受け手の活用能力に応じて、全く異なる意味と効果を持ちうる。これが「援助」という社会的行為である。

以前は「効果的な援助」について共通の正解があるようなイメージを持っていましたが、今は援助が贈与の一形態という考えに納得し、その効果は文脈に依って異なると気づきました。万人が喜ぶプレゼントが存在しないように、援助の効果も多種多様であると遅ればせながらイメージすることが出来たのでした。

そして「開発援助」で発生する意図しない力関係についても、以下のように説明されています。

・「援助は一方的に資源が移転されるために両者の関係は非対称なものとなる。 そして『与える』『受け取る』という非対称な関係は力関係=権力を発生させる」
・「理念として『対等』な『協力』を目指すことに異論はない。しかしながら、現在『国際協力』という名の下に行われている事象の多くは、この非対称性を有している。自らの関与している事象の『非対称性』に気づかず、『平等』の理念に酔いしれるとき、援助という行為はそのルールの不在と相まって、援助者にも被援助者にも望ましくない社会的軋轢や影響をもたらしかねない。」

これは協力隊としての経験で実感したことなので、一言一句が胸に迫る気持ちがします。当時の私には理念に酔っている部分があったと思うからです。

開発援助の定義を何となく良いものと思っていた私は協力隊活動中に自分が思い違いをしているのではと迷いました。そして帰国後、その迷いは開発援助が含んでいる近代化の肯定や非対称の関係を認識していなかったからだったと分かったのでした。それから大学院で学びなおした結果、自分なりの開発そして開発援助の考え、そして資本主義社会においてどの程度近代化を取り入れた方が良いと思うかについて認識出来るようになりました。このことは私にとって今後を考える上でとても重要だったと感じています。

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*1:「開発援助の社会学」佐藤 寛  著
また、開発援助が近代化や資本主義を肯定していることは大学院で読んだ文献にも多く記載されていましたが、以下書籍は分かりやすくまとまっていました。 
‘Poverty and development into the 21st century’, Allen, Tim and Thomas, Alan,編著
Poverty and development into the 21st century - Ghent University Library 

*2:コトバンクで「近代化」を調べた結果です。「きわめて包括的な概念でさまざまな意味内容を伴っている。」(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)とあるように色々な意味が載っています。
近代化(きんだいか)とは - コトバンク

「開発」そして「援助」とは何か

今回は開発の定義について書きます。
というのも、進学前の私は「開発」とは何かが分からなくなっていたからです。それまで私は、開発とは主に経済発展であり、開発援助とは「途上国(と呼ばれる国)が発展するために行う支援」という考えを持っていました。しかしどの時点で「開発」完了!となるかというと、イマイチ腑に落ちない気持ちもありました。日本は「先進国」(つまりは開発が完了した国)となっているけれど、それは経済面からそう見なされているだけで、当たり前ですが全てが完ぺきではなくまだ発展した方が良い部分もあると考えていました。

では、「本当の開発」とは何か?その答えについて、大学院で学んで頭が整理出来たのですが、特に以下が印象的でした。

1.「開発援助」「開発」の定義は多様
2.開発に関わるうえで、それが暗に肯定するものを認識する必要がある。

まず「開発援助」の定義についてですが、「国際協力用語集【第4版】」の説明を紹介します。

開発援助とは「開発途上地域・諸国の経済社会開発および福祉の向上を目的として供与されるもの」。
※ここでは代表的なものとして、政府・関係機関による政府開発援助(ODA)と国際機関による公的援助、そしてNGO による援助が挙げられています。

また、用語集では開発援助と似た意味を持つ言葉として「開発協力(development cooperation)」と「国際協力(international cooperation)」の2つも紹介されていました。*1 

次に「開発」の定義ですが、これも人や組織によって異なります。有名なものを二つ紹介します。

・国連開発計画UNDP・・・「人間開発」とは人々の自由を広げることであると定義し、経済の豊かさだけではなく、人々の生活の豊かさに焦点をあてています。 *2 

・参加型開発の父と呼ばれるロバート・チェンバースさん・・・開発は’good change’と、とてもシンプルに定義されています。

 ただ開発援助での文脈においては、書籍「開発援助の社会学」にある以下の定義が私にはしっくりきました。*3

「開発」とは「他者が意図的・計画的に働きかけることによって発展を促そうとする行為」

そして発展は物事が良い方向に変わることを意味するとしたうえで、以下のように説明されています。

「社会の発展」とは「社会が複合的・継続的に『良くなる』こと」

このようにまとめると、開発の定義は国を問わず全ての人や地域に当てはまりそうなのに、開発援助となると対象が発展途上国と定義された国が対象となることに改めて気づきました。

また、定義は多様でどの定義もなるほどと思う面があるのですが、開発援助に関わる際には自分なりの明確な開発の考えを持って、自分の行っている事業と、その考えにずれがないかを把握する必要があると感じています。

また、「開発援助の社会学」では開発に含まれる暗黙の了解について以下のように説明されています。

・一般に社会の発展のためには経済発展が必要だという考えが定着している。
・そのためGNP(国民総生産)など経済発展を示す指標が用いられることが多い
・この「発展」の方向性は「近代化」である、つまりは現在行われている多くの開発援助の目的は「近代化」となっている。

ここで指摘されている開発とは他者が意図的にある対象を良くしようとする考えであるが、その目的は近代化であることが多い、という指摘は重要だと思います。

では、「近代化」とは何か、そして開発援助が暗に意味するもは何かについては次の記事で紹介したいと思います。

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*1:■開発協力(development cooperation)
「上記の開発援助に加えて、その他の政府資金の流れ…及び民間資金…の流れを総計したものを広義の『開発協力』という」。「援助と協力の違いは前者が援助供与側から受け入れ側への片務的な性格が強いのに対して、後者には両者間の互換性が求められる点」。(この)捉え方や名称は、経済協力開発機構(OECD)の開発援助委員会(DAC)で用いられているもので、日本では同様のコンセプトでも「経済協力」という名称が使われるようです。

■国際協力(international cooperation)
広義のとらえ方もあるが、「途上国の『開発』が一時的な目的として設定されているものがほとんどである」。つまりは開発協力とほとんど同義で使われている。
(注)なぜ同じ意味の言葉が2つもあるのかという点に対し、「開発援助の社会学」では考察されていたのは、「援助」(施しというニュアンスが感じられる)より「協力」(「互いが対等な立場で力を出し合うというニュアンス」)が好まれるのでは、というものでした。日本のODA(政府開発援助)を行う機関JICAが「国際協力機構」という名称であることが、この考察で腑に落ちた覚えがあります。

『国際協力用語集』、佐藤 寛 (監修), 国際開発学会 (編集) 

*2: ‘Human development – or the human development approach - is about expanding the richness of human life, rather than simply the richness of the economy in which human beings live. It is an approach that is focused on people and their opportunities and choices.’
About Human Development | Human Development Reports

*3:「開発援助の社会学」佐藤 寛  著

協力隊時代の勘違い②(反省点~次への対策)

前回の記事の続きとなりますが、今回は協力隊時代に派遣されていた学校に奨学金制度を紹介した後、私が反省したことを書きます。

1.一番の反省点
振り返って、一番の反省点は、私に「援助者」の覚悟がなかったことだと気づきました。援助において透明性を確保し公平に援助する必要性は知っていたのに、実行しなかったのでした。
私は奨学生を選ぶ基準を同僚と決め、「学力の高さ」は同僚の記憶、「経済状況」は生徒の発言だけを参考にしました。しかし公平性を保つなら、まずは学校長経由で学校に紹介すべきだったし、対象となる学年全員に周知し、希望者の成績や経済状況を具体的に調べる方法を考えるべきでした。周りの人には「仲が良い同僚のお気に入りの生徒に援助した」と思われて仕方がない対応でした。

2.原因:援助者になりたくないという感情
ではなぜ覚悟がなかったのか。原因は私にボランティアだけど援助者ではなく「同じ立場でいたい」「同僚として見てほしい」という強い気持ちがあったことだと思います。それは援助者となると対等な立場でなくなると思っていたからです。同僚も「君は仲間だ」と言ってくれていたし、私も文化に配慮して先生の一員としてなるべくとけこもうと努力していたのですが、国の税金を使ったODA事業の一環で政府機関から派遣されているボランティアである以上「違う立場」の人だったのでした。それなのに、つい周りに甘えて、勘違いしていたのです。

3.今後への学び:援助者の心得を忘れない
この体験とその後に読んだ本から、援助者の心得を理解する必要性を痛感しました。それは「開発援助の社会学*1という本なのですが、特に心に沁みたのは「援助はえこひいき」「よそ者のパワー」という言葉でした。
この本の第11章は「援助はえこひいきである」という言葉から始まり、誰を援助して誰を援助しないかは援助する側の論理(正義感や合理性など)によって決められることが多く、援助する側にとって公正でも、援助される側にとって公正に感じられないことがあり得ると丁寧に解説されています。
そして続く12章では、よそ者が持つ否定的なパワー、肯定的なパワーについて解説されています。重要なことは、自分がよそ者となる場所では普段とは違う「力」を持つことになり、良くも悪くも影響を与えてしまう、ということをまずは自覚することだと感じました。そしてその影響力をどう肯定的なものにするかは、援助対象者(とその周り)についてある程度知らないと分からないと思っています。援助を行う以上、「援助しない人」の状況も見極める努力をしないとその援助はえこひいきになり得るし、よそ者の否定的なパワーでその地域の人々に迷惑をかけることがある、としみじみ納得しました。

・・・これをするとなると、言い方は悪いのですが、本当に面倒くさい話です。援助するだけでも労力がかかるのに援助しない人への配慮が必要となると2倍以上労力がかかるのですよね。私の奨学金についても、学校長はあまり理解がある人ではありませんでしたし、同僚と仲が悪かったので、「より公平」なやり方をしたら何倍もの時間がかかったと思います。・・・でも公平な援助をしたいのであれば、そこをさぼるべきではなかったのでした。
奨学生が援助されなかった生徒からいやがらせを受けたり、逆に援助に甘えて勉強をさぼったりしなかったのはただの結果オーライでしたし、私が把握してない悪影響もあるかもしれません。援助されなかった生徒や先生の何人かには「やっぱり外国人と仲良くなる・気に入られると得だよな」という悪い考えや不信感を持たせてしまったと思います。

・まとめ
協力隊時代の勘違いにより、派遣先に悪影響を与えたことは本当に今でも申し訳なく、反省しています。この経験を話すと援助にあまりなじみがない人は「すごく良いことしたね」と感心し、援助に関わっている人は「やっちゃったねー」と苦笑いをされたりしました。個人的には良い影響もあったけど悪い影響はそれよりあったかもしれない、と思います。そうはいっても過去は修正出来ないので、今出来ることは「反省を次に生かす」そして「他の人に共有する」だと考えています。
たわいのない、初歩的なミスなのですが、誰かの参考になれば嬉しいです。 

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*1:「開発援助の社会学」佐藤 寛  著

目次が以下に掲載されています。

開発援助の社会学 - ジェトロ・アジア経済研究所

協力隊時代の勘違い①(きっかけ~結果)

今回は「開発援助」をどう捉えたら良いのか、重要な気づきを得た協力隊時代の経験を書きます。
簡単にいうと大きな勘違いをして落ち込んでいただけなのですが、そこから「開発」についてより包括的に学びたいと思うようになり大学院進学へと繋がりました。

誤解を避けるため最初にお伝えしたいのが、以下は私が賛成する考え方である、ということです。私の隊員仲間はこれとは違う考え方で活動し、成果を出し周りに喜ばれていました。当たり前ですが、人によって考え方は違って良いと思います。また、協力隊として要請されたメインの活動自体は派遣先の希望通りに実施したことも付け加えます。以下はメインの活動以外で私が行った経験からの反省です。

1.きっかけ
きっかけは私の派遣された国に、青年海外協力隊員有志による奨学金制度があったことです。この制度では希望する隊員は3人まで奨学生を推薦出来ます。日本と違い、公的な補助制度がほぼない国において、この制度はとても有益に思えました。

2.最初の気持ち
私は最初、この制度を利用する気はありませんでした。自分が派遣先に要請された活動ではありませんでしたし、求められていない援助を与えることは周りの人に悪影響を及ぼすと感じていたからです。そして周りの「外国人だからお金を持っていて、何かをしてくれるかも」という期待をいつも感じていたことも気になっていました。例えば、町で初めて会った人に、そして派遣先の同僚に、「私はこういう援助を○○に個人的に行っているんだが、君(もしくはJICA)も支援してくれないか」と言われることはよくありましたし、私と知り合いになって何かをもらおうとする人、日本に連れて行ってもらおうとする人・・・もいました。

日本であればその人との関係性によって何かを贈ったり助けたりは当たり前ですが、派遣国でそれをすると「お互い様」というよりは外国人による「一方向的な贈り物、施し」のような意味を帯びてしまうことも多く、相手を依存させてしまうと感じました。依存に慣れた相手は、自分で何かをしようと思うより先に、外国人に頼ろうとします。そして援助されたものを自分の利益に使ったり、必要ないのにあるだけもらおうとしたりどんどん悪い方向に進むことがあります。

隊員仲間でそういう人々を「援助慣れしている」と批判する人もいましたが、私は「慣れさせてしまう人にも問題がある」と考え、自分は相手を依存させないようにしようと考えていたのでした。

2.気持ちの変化
ただ半年も滞在するとクラスでも一・二を争う成績優秀で真面目な生徒でも、貧しくて高校に進学を出来ないことがよくあると分かってきました。中学までは義務教育でほぼ無料ですが、高校の授業料その他は生徒の出身家庭にとっては負担するのが難しい金額となります。私の活動地域はその国の中でも貧困率が高いと言われており、その時教えていた中学3年生の中にも進学が難しい子がいると分かってきました。そしてだんだんと「活動外だとか悪影響を与えるかもとか行動しない理由を正当化するより、今できることをするべきではないか」と考え、奨学金制度を紹介することに決めました。

3.実行
そこで一番信頼していた同僚にこの件を相談したところ、「それは良い制度だね。ぜひ今の3年生に紹介しよう!」とすぐにその人が生徒を3人選定、各々に家庭環境を聞き取り・・・と進み、瞬く間に奨学生3人が決まりました。私は展開の速さに驚きながらも、その3人の学力や勉強への熱意は授業を通して知っていたため、奨学生として問題ないようと考え、特に口を挟みませんでした。

そしてその日から明らかに一部の生徒との関係が変わりました。まずは知らない生徒から挨拶されるようになりました。奨学生には口止めしていたし奨学金がもらえるかは聞き取った状況を考慮して奨学金委員会が決めると話していたのですが、新しく来た外国人のボランティアの先生が奨学金を紹介してくれるらしい、と学校中に広まったのだと思います。挨拶を返しながら物悲しい気持ちになりました。

それから、奨学生に選ばれた生徒がものすごく私に気を遣うようになりました。もともと派遣校では生徒が先生に丁寧に接する文化がありましたが、その子たちが私と話すときに今までの気さくな感じがなくなって顔色をうかがっているのを感じました。その時、奨学金の紹介によって、生徒と私の間にはっきりと上下関係が出来たことを気づいたのでした。

また、同僚にのもとに自分にも奨学金が欲しいと言ってきた生徒が何人かいたと後から聞いて、彼にも迷惑をかけたと申し訳ない気持ちになりました。他の先生は何となく奨学金について知っていながら、遠巻きに見ている感じでした。

4.結果
奨学生は統一テストで優秀な点数をとり、奨学金を得てその地域でも一番の高校に進学しました。半年後、その子たちが学年でも上位の成績で学期を終了したと同僚経由で報告がありました。勉強を頑張った生徒たちは本当にえらかったし奨学金の意味はありましたが、私のこの援助方法は良くなかったしもっと悪い結果をもたらす危険性があったと本当に反省しましたし、落ち込みました。

では何が良くないと自分で感じたのか。それを具体的に分析せずもやもやしていたのですが、ある先輩にアドバイスを受け、書き出してみた所自分の反省点が分かりました。次の記事で紹介します。

大学院進学のきっかけ・コース選択の理由など

今回は私が大学院に行くと決めたプロセスについて書きます。例えば、なぜ開発援助に興味を持ったのか?進学をいつ決めたのか?専攻をどうやって選んだか?などです。
私の決定プロセスは一直線ではないのですが、迷っている方の参考になれば嬉しいです。

1.「開発援助」「国際協力」について、最初に興味を持ったのはいつか?
高校2年生の時です。色々なことに興味を持つ中で、「『世界の恵まれない人たち』について聞いたりするけど、その人達の生活は良くなってるのかな?ずっと『今この時にも飢えで死ぬ子供たちが毎秒◯人・・・』というのを聞いている気がするけど・・」とものすごく大まか、かつ無知な疑問を持ったのがきっかけです。

「開発援助」や「国際協力」定義は別記事で書いていますが、私が持っていた認識はJICAのホームページにある「国際社会全体の平和と安定、発展のために、開発途上国・地域の人々を支援すること」*1でした。その後大学では国際協力の講義をとったり、発展途上国NGOの活動を見に行ったりして、ますます興味を持ちました。

2. 大学院の進学について、最初に興味を持ったのはいつか?
社会人3年目です。理由は主に2つで、1つは山本敏晴さんの著書「国際協力師になるために」*2修士を持っていた方が良いと書いてあったのと、国際協力の仕事をしている知り合いは修士を持っていることが多かったからです。
ただ今感じることは、仕事内容によって求められるもの(専門性や経験)は違うので、修士を持っていない人も開発業界でたくさん働いているし、修士を持つからといって安定した・希望する仕事に必ず就けるわけでもないなあ、ということです。

3.いつ大学院への進学を決めたか?
入学の1年前です。協力隊で2年間活動を終えて帰国した際は、進学するかを迷っていました。ただお金を貯めるために援助関係の団体で働き始めました。そこで理論を実務に活かしている援助専門家とお話し出来たこと、「開発援助の課題」と言われるものは自分を含めた皆に関係することに気づき、大学院への進学を決めました。

4. イギリスに決めた理由は何か?
主な理由は2つで、1つ目は1年で修士が取れること、2つ目は大学院の詳細や進学方法など情報がたくさんあることです。実は授業料がイギリスより安いヨーロッパ(フランスやドイツは2年かかりますが学費ははるかに安いと聞いたため)で開発が学べる修士コースにも興味があり、欧州留学フェアに行ったりCampus Franceに質問したりしていました。ただ英語圏以外だと日本語や英語で手に入る情報が少なく、断念しました。(その際に参考にした留学フェアは*3をご覧ください。)

5.専攻を「社会開発」に決めた理由は何か?
一番興味があることが学べる、と感じたからです。ただ最初は「絶対にこの分野を学びたい!」というものが曖昧で、「開発」や「教育」専攻にも興味がありました。そのため、Google検索や本を読んで開発業界で働いている方の経歴や専門性を調べたり、聞いたことがある大学院のホームページでコース一覧を確認したりしました。また、イギリスで修士をとった方に質問したりしました。
最後はコースを「社会開発」に決め、大学院も3つに絞りました。手続きについては留学エージェントに相談しエージェントのアドバイスを元に書類を揃え出願準備をしました。

まとめ
私は優柔不断なため、大学院進学という大きな投資を決定するのにとても苦しみましたが、自分なりに調べて考えて決めるしかないと今は思います。当時は「大学院進学が自分の将来にとって役立つのか」「そもそも修士は必要か」と悩んでいたのですが、後で後悔したくないという気持ちで進学を決めました。振り返ると悩みすぎたなと苦笑いしてしまうのですが、結果的に進学して本当に良かったです。

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*1:国際協力の定義

国際協力とは | 国際協力・ODAについて - JICA

 

*2:書籍「国際協力師になるために」山本 敏晴 (著)

国際協力師になるために | 山本 敏晴 |本 | 通販 | Amazon 

*3:

留学についての参考にしたサイト、留学フェア
ヨーロッパへの留学は以下にある「欧州留学フェア(EHEF)」に参加したり「欧州留学ガイド」を参照しました

日本からEUへの渡航 - 欧州対外行動庁

イギリスへの留学は以下にある留学フェアに参加しました

beo 留学フェア 2020 spring|留学サポートのbeo

はじめに(ブログの目的など)

まず初めに、このブログの目的や自己紹介などについて書きたいと思います。

1.ブログの目的
このブログは、進学前に自分が知りたかったことを共有するために書いています。
「イギリス」の「大学院」で「開発学」を学ぶ、ということに長年興味を持っていたのですが、分からないことがたくさんありました。経験者は周りにもいたものの、あまり根掘り葉掘り聞くわけにもいかず・・・そんな時他の方のブログがとても役に立ったし面白かったのでした。そこで、私も特に以下3つについて共有したいと思い書いています。

2.知りたかったこと4つとカテゴリー
① 何を学ぶの?

「開発学」と言っても幅広いですし、どんな内容を学ぶのかとても気になっていました。そこで、ほんの少しではありますが、学んだ知識や文献を記事で共有しています。これに関する記事はカテゴリー「学び」としています。

② どんな感じで学ぶの?

ざっくりとした質問ですが、授業の進め方や先生や生徒の国籍や性格・・・そういった雑多な話に興味がありました。そこで、雑文のような自分の体験を書いています。カテゴリーは「体験」としています。

③ 学んで何が変わるの?

それなりの時間とお金を費やすからには、意識や行動に変化が生じるのではと思っていました。履歴書に「修士取得済み」と書いてより良い仕事をゲット!以外の大学院で学ぶ影響を書いています。カテゴリーは「学びからの気づき」としています。

④ 最低限何を知っとけばいいの?

これは人に拠って違うと思うのですが、大学院に進学して学びなおした、これは知っていた方が良いなと思った基礎知識についても書いています。カテゴリーは「開発基礎」としています。

3.この日記で気を付けたこと
①主観多めに書く
この日記は私が思ったことや学んだことを中心に書いているため、あまり役には立たないと思います。勉強の役に立つ情報が欲しい方は、他の方の素晴らしいブログをご覧いただければ幸いです。私は主観多めのブログ記事を読むのが結構好きなので自分も書いてみました。私(書き手)の見方に偏りがあることも考慮していただきながら、楽しんでいただけたら嬉しいなーと思っています。

②あくまでざっくり書く

ざっくりという言葉にはいくつか意味があるようですが、この日記での「ざっくり」とは「雑な」ではなく、「全体を大きくとらえる」という意味で書きたいと思っていました。そのため、雑にならないように他の人の意見と自分の意見を明確にする、細かな説明は本文ではなく出典で補足するなど気を付けました。

③難しいことはあまり書かない

私には開発援助や国際協力の話はとにかく難しいと感じることが多いため、大学生の時の自分(知識なし、難しい話きらーい)でも読めそうな文章を書きました。具体的には専門用語には説明を補足したり、手書きの絵をつけたりです。
ただ書いてみると基礎の中の基礎の話が多くて私以外みんな知っているかもと不安になったり、絵も文字もへにょっとしてるな・・・と気付いたりしたのですが、親しみやすいかもだしまあいっかーとか思ってそのまま載せています。

4.自己紹介
日記には、書き手のそれまでの経験や性格が影響してきますので、自分についても少し紹介します。地方都市出身、大学で国際関係学を学び、一般企業で数年働いた後、青年海外協力隊として某アフリカの国で先生として活動しました。帰国後、公的機関で数年働いて大学院に進学しました。
上記のため「開発について少し知っているのみ(専門的に学んだことはない)」「半年以上の海外滞在経験は協力隊のみ」です。アフリカ・アジア・ヨーロッパ数国は旅したことがありますが、その他の地域の知見は少ないと思います。また、性格は内向的な方で、大勢で飲んだり遊んだりするよりも、一人で本を読んだり少数の友人と遊ぶことが好きです。

・・・このブログのコンセプトは、(大学院を修了した)私による、(大学生の時の)私のためのブログ、です。大学生の私はこのブログを暇なときに読んでまあまあ楽しんでくれるのではないかと思っています。自己満足なコンセプトですが、自分以外で一人でも楽しんで読んでくれる方がいらっしゃれば、とても嬉しいです。