イギリス留学 ざっくり日記

大学院で社会開発を学んだ話

勝手に尊敬① アマルティア・センさん

今回は大学院で勉強し始めて、「まじ、この人すごいわ・・・!!」と尊敬を深めた学者さんについて書きます。皆さま大変有名なのでその考えを知る機会はあったのですが、「難しそう・・・」と詳しく調べなかったという・・・。

「もっと早く知っていれば良かった!」と思うほどその方々から素晴らしい学びを得たので、 「勝手に尊敬」と題してお二人ご紹介します。ただ、ご著書数冊をざっとしか読んでいない私ごときが説明するのも恐れ多く、私と違って分厚い・難しい本が抵抗なく読める方は、是非ご著書を直接お読み下さい。

お一人目:アマルティア・センさん!
1998年にノーベル経済学賞をとられたインド出身の経済学者です。

センさんのすごさは経済学で常識だった考えをくつがえしたことにあると思っています。以下2つご紹介します。

すごいと思うところ①飢饉の原因がお金だけでないことを証明した!
飢饉、つまり「農作物の凶作などから食物が極端に不足し,人々が飢え苦しむ現象」、*1は食料が足りないからではなく、人々の能力や資格(センさんは「エンタイトルメント/権原」と呼んでいます)が足りないから発生することを証明されています。

私はこれを聞いたとき「えええ」と驚きました。それまでは
 ・貧しい国だと水路とか作るお金がないから天候に頼るしかなくて、
→雨不足とかで農作物が育たなくて、
→食べ物を外から調達するお金もなくて、
→その結果として飢饉が起きて人々が飢えに苦しむのかなと思っていたのでした。

それがセンさんの本を読んで「食べ物が足りないだけが問題だけじゃないんだ!?」、つまりは「お金だけの問題じゃないんだ!?」とびっくりしたのでした。

センさんは著書「自由と経済開発」*2の中で、経済力が低くても飢饉が発生しなかった国と発生した国の違いを比べています。その比較・分析から飢饉に素早く対応する民主的な政府があれば飢餓を防ぐことが出来ること、そして独裁的な政府の下では飢饉がなくても飢餓が発生することがあると指摘しています。

すごいと思うところ②「開発」の概念に経済指標以外の要素を加えた
戦後の主な「開発」の概念は、「開発=主に経済的な豊かさ(GDPや収入の増加)の追求」という考えでした。経済的に豊か=人々がより幸せになる、という考えだったのですね。でもセンさんは当時当たり前とされていたこの考えに反対して、開発の目的は自由の拡大であり(そしてそれが人々の生活の質を高める)、収入を上げることはそのための一つの要素に過ぎない、と指摘します。

そしてケイパビリティ(潜在能力)*3 アプローチというものを提唱されます。この考えに触発されてUNDP(国連開発計画)が人間開発報告書というものを1990年以来毎年発行しています。この報告書では経済(1人あたりの国民総所得(GNI))に加え、教育、医療の3つの側面から各国の開発度を測定しています。

このように「幸せってお金だけじゃないよね」っていうのは彼以外も思っていたと思うのですが、それを他の理論と対比させて論破し、個人の状況によって「潜在能力」が変わることも詳細に分析した彼に拍手!!! そして勝手な推測なのですが、センさんのこの個人の自由への視点は彼が幼いころに起こったムスリム男性の死も関係しているのかなと思っています。「自由と経済開発」の中で書かれているのですが、ヒンズー教の多い地区で働いていたムスリム男性が、ある日その宗教の違いが原因で殺されてしまいます。その人自身、イスラム教徒の自分がヒンズー教徒の多い場所で働く危険性を認識していたのですが、自分の住む場所では仕事がないため出稼ぎに来ていたのでした。

彼に仕事を選べる自由があれば命を落とさなくて良かった、と書かれているセンさん。じゃあ具体的にどうすれば皆が自由が得られるの?そもそも自由って何?という疑問への答えを実証した彼はすごいと思います。

センさんの理論への批判
中にはセンさんの理論は理想的過ぎて、実用的ではないという批判があります。センさんは自由を測る(明確な)指標をケイパビリティ(潜在能力)アプローチ提唱時には明確にしていないからです。また他の批判では、戦争や飢餓などの有事には「自由」は無視されてしまうし、高い理想をどう実際に機能する政策にするかが難しいのにそこに触れてないというものがあります。ただセンさんは具体的な政策をどうすればいいかを模索するのは他の人に託す、と書かれています。*4

・・・ということでお一人目、アマルティア・センさんでした!もちろんどの指標で「開発」度合が図れるかでも議論が分かれていますし、彼の考えで批判されている部分は考慮すべきと私は思います。ただ私は当時の経済偏重に異を唱えた彼を尊敬しています。そのおかげで、経済以外の物差しも使った人間開発指標が採用されるようになったことは開発援助にとって良い変化だったとも思っています。

でもセンさんって・・・文章がものすごく格調高い(難しい)んですよね・・・読むのが大変つらいのが私にとっては一番の難点でした。でも大丈夫!たくさんの人がより分かりやすい言葉で解説して下さっています。何て読解力の高い方々!とあがめつつ、エッセイを書く時にはそれをありがたく活用させていただきました。

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*1:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

*2:「自由と経済開発」アマルティア・セン 著/石塚雅彦 訳 
自由と経済開発 | 日本経済新聞出版

*3:「ケイパビリティ/capability」『国際協力用語集』 83ページより抜粋
「不平等や貧困、生活の質を判断する際の基準としてセン(Amartya Sen)が提唱している概念。彼は人々の生活が、様々な状態や行動、つまり、様々なファンクショニング(functioning/機能)の集まりから成り立っているととらえた。また、センによれば、ある人が達成可能であるさまざまなファンクショニングの組み合わせを総体としてとらえた集合が、その人のケイパビリティであり、様々なファンクショニングを達成できる実質的な自由をあらわしている。人々の生活の質を判断する基準は、個々の選択の良さと共に、選択の幅や自由度である、という考えである。生活の質をあらわす基準としてしばしば用いられる財・サービスの消費量は、よりよい生活を実現するための手段に過ぎない。その手段を用いてさまざまなファンクショニングを達成する能力は、人によって異なっている。例えば、妊婦や病気の人は、十分な栄養を得るというファンクショニングを達成するのに必要な栄養摂取量が、ほかの人びとよりも必然的に多くなってしまう。そこで達成可能なファンクショニングの観点から生活の質を評価する必要が生じるのである。」

*4:’Fifty Key Thinkers on Development (Routledge Key Guides)’ David Simon (編著)
Fifty Key Thinkers on Development | David Simon | download

コースメイトについて(出身国や交流の記録など)

今回は私の学んだ社会開発課程(コース)の様子についてご紹介します。一例としてご参考いただければ嬉しいです。
社会開発コースには30名弱の生徒がいました。イギリス人数名、日本人数名、後は各国一人ずつ、という感じで、アフリカ・中南米・アジア・中東地域から数名が来ていたので結構多国籍でした。2割がパートタイム(仕事などと両立するため1年間に2単位とって2年間で修了する形式)、その他は私と同じくフルタイム(1年間で修了)でした。大学院には100名以上が所属するコースもあったので私のコースは比較的小規模だったと思います。また、自分以外はヨーロッパ諸国出身の生徒だった、とか、インド出身者が3割を占めるコースだったなど、その年またコースに拠って違いがあるようです。

コースメイトは20代前半が半数で、私のような30歳以上の人は2割くらいでした。最初は気後れしたものの、コースメイトはみんな優しく気さくだったので、年齢を気にせず楽しく話せるようになりました。会う機会は少なかったのですが授業の合間に一緒にお昼を食べたり、課題が終わってパーティしたり海で遊んだりしたのがとても気分転換になりました。

私はたくさん生徒とわいわい遊ぶ、というよりは授業で会った数人と仲良くなって授業の合間やお昼ご飯を食べながら話す時間が好きでした。そして英語能力的にも性格的にも話すのが得意な方ではないのでゆっくり簡単な言葉で話すことが多かったですが、ネイティブの子も丁寧に対応してくれる子が多かったので有難かったです。(たまに早口で話して、私がついていけないと他の人とだけ話したりする人もいましたが、まあ仕方ないかなと思っていました。)他の国から来ている人たちと話すことが多かったので、慣れない大学院生活への不安、先生の評価、将来について・・・と色々話せて、とても息抜きになりました。

◆例えば、授業の後に昼ご飯を食べながら・・・
・コースメイト1:「あーだるい。もう仕事に戻りたい。もう『学問』はいいよ、僕は紙一枚(修了証)がもらえればいいんだよ。」
・私:「なんか読んで書いてだけだと、偏ってる気がするよね。仕事で必要だと思ったから進学したんだけど。後さ、頑張って貯めたお金が目減りしてくのがすごい恐怖だよー。」
・コースメイト2:「イギリスは物価高いしねー。まあ仕事するのは大変だけどね。」
・私:「うう、そうだよね・・・前どんな仕事してたんだっけ?」
・コースメイト2:「それがさあ、首都で政府機関に勤めてたんだけどそこの上司がさあ~!!」
と前職の話になり、なぜ修士を取ろうと思ったかを言い合い、最後は「頑張ろうね!修士取ったら希望する仕事に応募出来るもんね。お互い希望が通るといいね!」と励ましあったり。

◆また別の日にはエッセイで追い込まれている時に大学内のカフェで偶然会って・・・
私:「どうしよう。エッセイが全然進まない。図書館にいたんだけど、集中出来なさ過ぎて逃げてきた・・」
コースメイト1:「私は午後からの授業の準備してるよ。エッセイのアウトライン作らなきゃだし、大変だよ・・・」
私:「もう逃げたい。どこでもいいから逃げたい。もう読みたくない。」
コースメイト2:「・・・旅行とかいいよね。」
コースメイト1、私:「旅行―!行きたーい!」
コースメイト2:「じゃ、授業行ってくるわー」
コースメイト1、私:「・・・いってらっしゃーい・・・」
コースメイト1:「今朝具合悪くて病院行ったんだけど、入学してから病院行くの何回目だろ。原因不明。自分の国ではこんなに体調崩さなかったから、イギリスの気候のせいかなー」
私:「えーー大丈夫!?」
コースメイト1:「大分良くなってきたから大丈夫。」
という、とりとめもない話を30分くらいして
私:「話聞いてくれてありがと。大分気持ちが落ち着いてきた。現実に戻って図書館でエッセイ進めてくる。体調早く戻るといいね。」
ク1:「ありがとーお互い頑張ろうね。」
と、名残おしく別れたり。

そしてエッセイ締め切りの終盤に会ったコースメイトと言い合っていたのが’Good luck and Survive!’でした。終わったらご飯食べにいこうねとか言い合って、それが無事実現した時は本当に楽しかったです。
仕事で会うと組織や役割の違いでこんなにフラットに話せなかったかもしれないので、気さくに自分のお国事情から授業に関連する開発の話まで話せる人は貴重だなと思い、それも嬉しかったです。もう世界中に散らばってしまいましたが、またどこかで再会出来たらいいな、と心から思います。

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「知るのが怖い」の、後

今回は「開発援助で扱う課題について知るのが怖い」をいう感情の変化について書きます。この感情との向き合い方が、大学院とのコースメイトとの会話で少し変わったからです。

進学前の気持ち
国連が世界規模の目標として掲げるSDGs(持続可能な開発目標)でさえ17もあるように、世界中に様々な課題があります。詳しく調べていくと、極度の貧困、人権侵害、紛争、そしてそれらに起因する人々の苦しみ、惨たらしい生活、死・・・など信じられない話が絶え間なく出てきて、世界中の最悪の事例が集められているのでは本当に目を背けたくなります。

現状を知ることが大切なので、記事を読んだり話を聞いたりするようにしていたのですが、時にその事例の過酷さに何日も落ち込んでしまうことがありました。援助に関わった人の中には「その経験をした人はもっとつらいんだから、知るだけでつらいとか思ったらだめだよ」とたしなめる人もいて、反省しつつも「でも、つらいな。私みたいな気が弱い人はあんまり関わらない方が良い業界なのかもな」と思っていたのでした。そして大学院では理論的な話が多いので、あまりそういう感傷的な話をしないようにしていました。

コースメイトとの会話1
そんなある日、自由参加のドキュメンタリー映画のチラシを見ていたら顔見知りの生徒が「君も見に行くの?僕もその映画に興味があるから、会場で会うかもね」と話しかけてくれました。でも私はすぐに返事が出来ませんでした。

何故ならその映画は出身国を逃れ難民申請をした国の収容所で暮らす人々を映しており、その現状の酷さを訴えるものだったので、「2時間もあるし精神的なダメージが大きそうだな」と迷っていたからです。一瞬の沈黙をフォローしようと、つい「見たいんだけど、見るのが怖いんだ。こんなこというと恥ずかしいんだけど、こういうドキュメンタリーを見ると数日落ち込んだりするから・・・」と本音を言ってしまいました。

するとその人は優しく「わかるよ。僕も他の授業でドキュメンタリーを見るんだけど、たまに眠れなくなったりするから」と言ってくれて、何だか受け止めてもらえてものすごくほっとしました。最終的にはその映画を見に行って、内容は過酷なものでしたが現状が深く理解出来たので、その後関連したニュースをより身近に考えるようになりました。

コースメイトとの会話2
授業でも同じ経験をしました。子どもに関する授業で、ある週は「虐待」がテーマでした。その前の週に先生が初めて「来週のテーマは出席をとらないようにします。来るのがつらい人は来なくて良いですよ」と言いました。そしてその授業の日には欠かさず授業に参加する、真面目で特に優しいコースメイトが来ませんでした。他のコースメイトに「テーマがつらいから、次の授業は行かない」と言っていたそうです。

そのテーマでの必須文献は児童虐待、女子と性労働との繋がりなどについてで、事前に読んでものすごく暗い気持ちになりましたが、授業で先生が一つの見方に偏らないように慎重に言葉を選び、理性的に生徒の発言に答えているのが分かりました。ソーシャルワーカーとしても働かれている人だったので、子どもから虐待を打ち明けられたらどう対応すべきかなど具体的なことも話してくれました。

授業後に仲の良い子がポツリと「今日は特につらかった」と言ったので、「そうだね。先生は冷静に対応してすごいよね。仕事だから当たり前なんだろうけど・・・」と答えると、「・・・私は先生みたいに直接子どもと接する仕事は出来ないかも。」と彼女は悲しそうに言いました。「私も。冷静に対応出来ないと思う。」と答えながら、こんな風に「つらいね」って言い合える人がいると救われるな・・・としみじみ感じました。

なぜなら数年前に子どもの性的虐待を題材にした映画を一人で見に行って、その後何週間もそのことを思い出して落ち込んでいたからです。そういう映画を一緒に見に行く友達もいなかったし、内容を話すとその人も悲しい気持ちにさせてしまうと考え他の人にも話せなかったのでした。

知らないことへの向き合い方について
・・・誤解をされると悲しいので補足しますと、もちろん一番苦しいのは問題の渦中にいたり被害に遭われたりした人です。それなのに知るのがこわい、というのは失礼に感じられるかもしれないし、「問題解決に向けて行動してるの?」と聞かれても時々支援団体に少額の寄付するくらいしか出来ていません。

でも、知らないことはもっと怖いから、そして他人事ではないから、気になった社会課題については国内外問わず調べたり話を聞いたりするようにしています。なぜならその「課題」は、場所や状況が違えば自分や自分の大切な人が経験する可能性があるからです。その時どうすべきか事例は教えてくれますし、解決に向けて微力でも自分の出来ることが知れます。また誰かの課題を無視しない人々が多くなれば、自分が困ったときもその人たちが助けてくれるかもしれません。

「開発援助」を「勉強」する意味
「開発援助」の課題について話をすると、「興味を持っていてえらいですね」「勉強家ですね」そして「私には難しくてちょっと・・・」と距離を置く方がいます。それはその人の自由なのですが、もったいないな、と思ったりします。何故なら知ることで自分に気づきがあったりして、自分のためになることが多いと感じるからです。

私は別に利他的な人ではないので、自分のために「勉強」(ある課題を知ろうとすることをこう呼ぶなら)しています。でも開発援助の課題という「遠くの国の話」を少し知って、外国には一度も行ったことはないしそれほど興味もないという人が「自分にも関係があった」「知れて良かった」と話す姿を見ることがこれまで何度もありました。

そして自分を振り返ると、数年前に知ったある出来事が気づかないうちに今の行動に繋がったりすることもあります。だからお節介ながら、他の人にも知ってもらえたらと思っています。

まとめ
大学院では開発のマニアックな話を出来る人と会えたとともに、私よりもはるかに経験も知識がある人々でも「知るのが怖い」という感情を持っていることに、何だかほっとする瞬間が多くありました。もうあんな風に気さくに話せる人が身近にいなくてさみしい時もありますが、先生やコースメイトの、怖い気持ちを無視しないけれどそれを乗り越えて課題に向き合おうとする姿を思い出す度に、私も私なりに知り続ける努力をしようと勇気づけられるのでした。

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人生を「自分の基準」で測ること②(漫画「雲の上のキスケさん」が教えてくれたこと)

前の記事に続いて、人生を「自分の基準」で測ることの大切さで思い出したもう一つの作品、漫画「雲の上のキスケさん」(著者:鴨居 まさねさん)について書きます。

この作品は「恋愛漫画」に分類されると思います。もちろん主人公の「まゆこ」と「キスケさん」の関係にもときめきが止まらない感じなのですが、私にとっては恋愛関係以上の、人生をどう生きるかを真摯に模索している人々の物語なのでした。
ネタばれは避けたいのですが、すみません、印象的な一場面だけ書きます。それは、キスケさんと出会った初めのころにまゆこが見る夢の部分です。少し説明するとこのまゆこという人は20代の会社員。あまり身体が強い方ではなく、特に雨の日の不調に昔からずっと悩まされています。

夢では高校生に戻ったまゆこのもとへ、雲に乗ったキスケさんが近づいてきます。「なんか用?」と尋ねるキスケさんにまゆこは泣きながら「あのね 高校の先生がね 雨の日はみんなダるいんだ おまえのはさぼり病だってゆーの でもあたしほんとに起き上がれないの だから雨降らさないで」と言います。
そんなまゆこにキスケさんは小さな箱型の機械を渡し、こう言います。「これはダるさを数字にしてくれるキカイ 単位は『ダルサ』 普通の人は50ダルサ~100ダルサ キミは360ダルサか ちょっとひどいね」「先生にそれで対抗してみなさい」。機械を受け取りキスケさんに「ありがとーっ」と手を振ったところで、まゆこは夢から目を覚まします。

・・・もちろんダルさを測るのは難しいと思いますし、もし測れたとしても「私の数値の方が高いから、あなたのダルさは大したことない」とは言えないと思います。でも痛みの知覚度合は人に拠って違うものなのに、自分の基準を相手に当てはめて判断することの残酷さを、この場面は教えてくれていると感じます。
私はこれを読んだ当時、入ったばかりの会社でうまく仕事が回せず、残業続きで睡眠時間も短くて・・・という状況でした。謎の吐き気や肌荒れにも悩まされていました。残業時間を減らすよう言う上司に自分の抱えている課題を伝えたところ、「大した仕事をしていない」「俺の方が忙しい」と一蹴されてとてもストレスを感じていたころなので、この漫画にとても救われたのでした。仕事はもちろん自分で回せるようにするものですし、当時の上司のコメントは当たっている部分もあったのでその後工夫して上手く進められるようになりました。でも精神的な部分はこの漫画の「たとえ他の人がどう思おうと、あなたの苦しさは無視されるべきものではない」というメッセージに支えられていました。

この作品では登場人物たちが自分なりの「基準」を見つけ、人生を少しずつ変えていく姿が描かれていると感じます。「パートナー」「家」「仕事」など、人生において大切な要素について自分の基準を持って測ろうとし、時に失敗し傷つきながらも、前向きに進み続けます。この漫画を読み直す度に何だかとても励まされていたのですが、その理由が大学院で学んで頭で理解出来たのでした。

・・・この2つの作品に最初に触れてから何年も経ちましたが、昔に比べると今はもう少し自分の基準で人生を測れるようになったと思います。今でも他の人から「あなたは本当に変だね」「他の人にもう少し合わせたら?」とアドバイスをうけることもあり、妥当と思う部分は受け入れつつ自分の基準は手放さないようにしようと思うのでした。それは結局、最後に人生を評価するのは自分だと考えているからです。

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人生を「自分の基準」で測ること①(ミュージカル「レント」が教えてくれたこと)

今回は大学院での学びが日常生活と繋がったこと、そしてそれにまつわる作品について書きます。というのも、どの価値基準を使うかで評価が違うという授業からの学びは、人生にも当てはまるなと実感したためです。

「概要」の授業で、貧困の測り方が時代によって変化してきたこと、そして「貧困」は個人の収入といった客観的な測り方から、明確には数値化出来ない「主観的貧困」を考慮する方法もあると教わりました。開発援助の歴史を見ると、開発、そして貧困について「多数派の」もしくは「支配的な」考えに抵抗して、より測定方法・定義の多様化を目指してきた部分があります。

そしてこれって開発の文脈だけではなく、個人の人生でも大切だなーと思った時、私がとても好きな本や映画では、普通(多くの人が支持している考え、と解釈しています)とは違う尺度や基準が示されていたんだなと改めて分かったのでした。だから「普通」から外れていると感じていた私の心に強く響いたんだと思います。

特に結びつきを強く感じた大好きな2作品について書きます。
まず1つ目は、ミュージカル’RENT’ 「レント」(作詞・作曲・脚本:ジョナサン・ラーソン)です。内容を一言でいうとNYを舞台に繰り広げられる若者の青春劇・・・といえるのでしょうが、人生とは何か、をものすごく考えさせられた作品です。

物語から曲からどれもすごく好きなのですが、印象的な歌’Seasons of Love’についてまずご紹介します。*1 1年をどう測ろうか?という歌詞で始まって、「52万5600分」とも数えられるけど、朝日、飲んだコーヒーの数、インチ、マイルで測ることも出来る・・・と尺度を挙げて、最後に「愛で測るのはどうだろう?」と問いかけます。

最初聞いたとき「面白い歌詞だなあ」と本当に驚きました。1年は365日。以上。・・・それ以外の考え方をしたことがなかったからです。Loveで測ると私の場合365より少なくなるかも。コーヒーは1日1杯以上飲んでるから多くなるかな。など思ったりしてとても新鮮でした。

もう一つ印象的だった歌は’What you own’です。*2 この歌で描かれるWhat you own(その人の所有しているもの)で人々が判断される世界は、「経済成長を目標とする現代社会」を表していると感じました。ジョナサンは歌を通して、物質主義が広まる中で、人さえ物のように画一的な基準で判断され、それに当てはまらない人は価値がないものと扱われる・・・という考えに真っ向から立ち向かおうとしていると私は感じました。登場人物が歌う、そんな社会に迎合している今の自分の感情は、自分のものではない、借りものなんだ、という言葉はいつも私の心に響いて、「私は自分の感情を今持っているだろうか?人に流されていないかな?」とつい考えてしまうのでした。

この作品に触れたときは、社会人となって自分が他の人の「当たり前」や「普通」から外れていると強く感じていたころで、RENTの曲によく勇気づけられました。私と同じ気持ちでいて、なおかつ戦おうとしている人がいる、と感じたからです。

’RENT’は「ミュージカルの歴史を変えた」と称されます。ブロードウェイに進出、ピューリッツァー賞トニー賞などを受賞、映画まで作られるほど有名となっています。この作品のほぼ全てを手掛けたジョナサン・ラーソンは、ミュージカルの在り方にも革命を起こしたのでしょうが、今の社会の根本的な枠組み、それ自体に疑問を投げかけた正に’Radical Reformer’の一人だったと感じています。(Radical Reformerについては別の記事で書いています。)

ジョナサンは35歳で’RENT’の公開前夜に亡くなったので、たくさんの人々がその「早すぎる死」を悼んでいます。私も彼にもっと生きて自分の作品がどれだけ多くの人々に愛されているか知って欲しかったし、彼が’RENT’後に作る作品も見たかったです。でも ’Seasons of Love’の中の人生の測り方を当てはめてみたら、ジョナサンの人生は年数としては短かったけれど、’Love’で測ったら他の人より多く生きた、と言えるのではと思っています。私も敬愛という意味で、彼にLoveを贈る一人です。

次の記事では、もう一つの思い出深い作品について書きます。

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Academicな言葉たち

 

今回はAcademicな(学術的な)単語をいくつか紹介します。私が学術英語やその分野のキーワードを知らな過ぎた面もありますが、授業ではなじみのない単語がよく使われ、所変われば言葉が変わるのだなと面白かったです。以下は特に講義やディスカッション中に口語としてよく使われていた単語です。(意味は全て「ジーニアス英和大辞典」から引いています。)

1.Problematic 「問題のある、疑問の余地がある」
・例:何かについて批判したいときに、「Bという考えはProblematicです!なぜなら~」と使われることが多かったです。
・所感:決め打ちのように’It’s problematic!’と議論を展開されると、最初はつい「えっとそうですね、何事にも1つくらいは問題ありますしね。」と茶々をいれたくなっていました。でもこの言葉を添えると何だか議論に重要性が増す気がしてきて、大学院後半では私も使ってみたりしました。

2.Overcomplicate「…を過度に込み入らせる」
・例:ある問題が細かく分析され過ぎて議論が混乱すると、誰かが「それは少し議論をovercomplicateしてるんじゃないかな、もう少しシンプルに考えてみると~」と調整に入ったりします。
・所感:私は単純なので大学院での勉強はある意味、ほぼ全て物事をovercomplicateしているように感じており、この言葉が聞いたときは面白かったです。これと同様に批判されるのがoversimplify「単純化し過ぎる」ことなのですが、どの程度が「過ぎる」と判断するかは人に拠って考えが違うと思ったりしていました。

3.Implicitly 「暗に、それとなく」
・例:講義で「この議論は○○をimplicitly意味していて~」を多用する先生がいました。
・所感:「暗に・・・」と表現されると、ぐっと神秘的になるというか深みが増す感じがして自分でも使いたかったのですが、使う機会がありませんでした。反対の意味のExplicitly「明確に」もよく使われていました。

4.Radical 「根本的な」
・例:ある課題を解決するには’radical transformation’「根本的な変化」が必要だ、とよく聞きました。
・所感:私はradicalには「過激な」「急進的な」の意味でとらえていて、radical transformationは急激であるが故に他の問題を生じさせそうだな、と否定的になっていました。ただ大学院で既存の社会構造の欠点を学び、その構造が昔の偏った考えに根差している場合はそれを「根本的」に変えるのが効果的な課題解決の方法だと納得することもありました。
また先生が’radical’は必ずしも悪い意味ではない、とも仰っていて、なるほどと思いました。既存の体制の根本を変えようとすると過激に見える部分はありますが、方法が必ずしも過激なわけではない、というのは忘れないようにしようと思います。

5.Voice 「(意見・希望などの)表現」
・例:よく出てくる単語ですが、例えば子どもの権利について学んだ時には、子どもが自分のvoiceを表現するには安心出来る空間・人が必須であるという話が良く出てきました。
・所感:今まではvoiceを「意見」と主に訳していましたが、もう少し生々しい「内なる声」的なものもあるのかなと解釈するようになりました。そのためそのvoiceは本音である必要があるのだと感じています。

エッセイを書いているときに、イギリスのコースメイトが「まだ自分のvoiceが曖昧なんだけど、書くうちに明確になると思うの。そのvoiceを大切にしたい」と言っていて、最初はエッセイという硬い文章を書くにはメルヘンな考えだなあと感じていましたが、書くうちに彼女の言っている意味が分かりました。
というのも、通常エッセイでは自分のargument「論点」を明確にする必要があり、曖昧だと「論点が不明確」とコメントされたりするのですが、このargumentの源には自分のvoiceがあるのではと思ったからです。voiceを学術的にそして理論的に述べたものがargumentなのかなと考えています。私の場合もエッセイを書きながら段々と「この現状はひどい!この課題は改善すべき!」と心の底から感情が湧き上がってくる時があり、エッセイは理性的に議論展開すべきですが、その底にある熱は大切なのかなと思っていました。

このブログは少しovercomplicate気味で時にproblematicな内容を含むかもしれませんが、私のvoiceがimplicitlyまたはexplicitlyに表現されつつも、何かradicalな部分も伝えられていたら嬉しいです。(という言葉遊びをしたくてこの項目を書いたのかもしれません・・・。)

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大学院の授業の流れ

今回はイギリスの大学院の1年間の授業の流れについて書きます。私も疑問だったし他の人からも質問があったのが、「授業ってどれくらいあるの?」「どんな感じで進むの?」というものでした。私が所属したコースだけのお話しにはなりますが、少しお伝えしたいと思います。

・1年間の流れ
2学期に分けられ、秋学期は9月~12月、春学期は翌年の2月~5月です。学期ごとに2つのモジュール(科目)を取るので、全部で受けた科目は4つでした。1つの科目は12週間で構成されていて、1週間にLecture(講義)1時間とDiscussion(議論)2時間あります。
つまり1週間で授業の拘束時間合計はわずか6時間なのです。最初は余裕がありそうだなと思ったのですが、実際は授業の準備と課題(エッセイ)を行うのにずっと追われていて、大学院は自習が主なんだと実感しました。

・講義の様子
その週のテーマについて先生がスライドを使って説明する、というスタイルが多かったです。科目によっては1日に3時間まとめて学ぶ構成になっていて、その場合は、講義→生徒と議論→講義と少しずつ進んでいきます。

・議論の様子
テーマや文献をもとに全体で話し合ったり、4~6人の生徒でしばらく意見交換して全体に共有したりしていました。私のクラスは議論を戦わせる、というよりは気さくな感じで話し合う、という雰囲気が多かったです。ただ取り扱いが難しい問題については先生に激しく反論する生徒がいたりと少し緊張感がある回もありました。授業中の発言やグループでの発表(1~2回ありました)が直接の評価対象にならないためか、質問する人は勉強熱心な人や優秀な人に限られていて、先生が生徒を当てたりすることもありました。

個人的には数人での議論の多い授業が好きでした。議論の流れについていくのは大変でしたが、少ない人数だとより個人的な考えや経験(「自分が前職で担当していたプロジェクトでは~」みたいなもの)を聞けて面白かったですし、それを通じて仲良くなったりしたりするのが嬉しかったです。

・「学ぶ」プロセスの経験
授業は面白いのですが、知識も英語力も足りない私にとって、内容を深く理解してそれを議論するのは大変でした。ただ学期を通して学びを深めるプロセスを経験できた気がしています。それは以下の流れでした。
① トピックの基礎知識や主な議論について知る
② 先生や生徒と話したり質問したりすることで理解を深める
③ その中でも興味がある事柄についてエッセイを書き、自分の議論を論理的に展開する
④ エッセイの点数やコメントから自分の学びが学術的にどのレベルか先生の評価が分かる

このプロセスの経験は大きな学びでした。というのも、これまで私は自分の知りたいことを本やネットで調べた後、理解出来た感じがしないことや自分の意見に自信が持てないことが悩みでした。しかし大学院で、基本を学び、関連の議論まで理解したうえで、自分の意見を主張する、というプロセスを何回か経験をし「知識を理解してそれを使う」ことはそれほどすぐに実現しないんだなあと実感したのでした。

例えばエッセイで取り上げたテーマについて考えると、授業で3時間以上みっちり基礎知識と関連の主な議論を集中的に教えてもらって、それから数ヵ月関連する文献を読んで、エッセイとして5000文字書きました。それでも私は十分理解出来たと感じないので「あんなに勉強したのに!」と驚いたのでした。
ただ、集中的に調べて書いたことは自分の主張を話せますし反論にも返せるくらいの知識や分析力はつくこと、また、調べる前に「学んだことをどう活用したいのか」を考えることの重要性も分かりました。

また、大学院で自分の関心があることを思う存分人と話せたことも本当に楽しい思い出です。私は今まであまり開発援助について話をする人が周りにおらず、いても知識量や主張の違いのせいか、話が通じている気があまりしませんでした。そのため、基礎知識をお互い分かった上で応用の話がコースメイトと出来たり、自分の考えに別の視点で意見がもらえたりして、本当に嬉しかったです。自分の知識不足が常にもどかしくもありましたが、貴重な時間だったなあと今は懐かしく思い出します。

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力関係について

今回は大学院で学んだ力関係を認識する大切さについて書きます。

私はなぜ自分がこんなにも開発援助に興味を持っているのかこれまで疑問に思っていました。なぜなら私は消極的な方で、ニュースなどで報道される国内外の社会課題で関心があれば自分で調べたりするものの、それについて何か積極的に行動したりすることはなかったからです。

一つ分かっていたのは、私は開発援助によって人々の選択肢(可能性)を増える、ということにとても魅力を感じているということでした。例えば、教育を受ける機会がない子どもの住む町に、ある援助によって学校が作られ先生が派遣されて・・・といったことです。ただ、ある行動(援助)が「選択肢の提供」となるか「押しつけ」となるかはどこで判断すべきか、が整理出来ていませんでした。

でもやっと!大学院で学んで、自分の興味の源泉や援助の効果が「力関係」に関係していることが分かったのでした。つまりはある行動を行う時、そこに力の差があることを考慮しなければ、押しつけになる危険性があるということです。そしてその関係性に私は興味を持っていたのでした。

英語論文ではよく’ asymmetrical power relations’(不釣り合い/非対象 な関係)という言葉で表現されますが、ある人々の間、またはグループの間にはほとんどの場合、力の不均衡があります。対等という関係は理想的ですが、なかなか難しい。そのため、自分が力関係のどの部分にいるのかに自覚的になることは重要だと学びました。

そこで思い出したのが、昔読んでとても感銘を受けた小田実さんの「生きる術としての哲学」のに書いてあった「される側」と「する側」の以下説明です。*1 少し内容を引用します。

「いま世界は混沌としていて、これからどうなるか分からない。ということはわれわれの世界は『現場』だということ」
「『現場』は波風が立つ場所」であり、「『現場』では自分で判断しなければならない。自分で基準をつくって決めなければならない」

そしてこの「現場」の判断の条件として小田さんは「される側から考える」必要性を説かれています。

攻撃する側/される側、支配する側/される側・・・様々な「する/される」側で世界は成り立っていますが、私が開発援助に興味を持ち始めた2000年代は「援助する側」のメッセージがとても強い時代でした。今もその傾向はあるかもしれませんが、最近は「援助される側」の意見が伝わる機会も多くなってきたと感じています。この考えに触れて、私が開発援助に興味を持った大きな要因は、援助される側の意見を聞きたかったからだと気づきました。

私は可能なら「する側」「される側」どちらの意見も知りたいと思っています。ただ弱い立場になることの多い「される側」から考えることは、小田さんが仰るように現場で大切なことだと考えています。私は開発援助の目標として掲げられる今ある課題を解決しより良い状態を模索する、という前向きなメッセージに強く惹かれるからこそ、詳しく知りたくなったのかなとも思います。

私は援助する側を少ししか経験していないのですが、自分が援助者として(自動的に)持ってしまう「力」に自覚的にならなければ、と協力隊時代の反省も交えて思っています。

そして力関係を認識することは、自分が「される側」になった時も役に立つとも感じています。善意から行われた他者の親切を重荷に感じてしまう、又は、一見対等に思える関係なのに断りづらいなど、そんな時は見えない非対称の関係性に縛られている可能性があります。それを認識すれば、より自分が生きやすい状況にするための方法、例えば相手との関係性を変えるもしくは距離を置く、という判断が出来ると分かったのでした。

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*1:「生きる術としての哲学」、小田 実 著、 飯田 裕康 ・高草木 光一 編https://www.iwanami.co.jp/book/b260969.html 

Critical thinking, unpackについて

今回は’Critical thinking’について書きます。
Criticalに物事を考えよ、というのは授業が始まってからよく先生に言われていました。日本語では「批判的思考」と訳されることが多いですが、ジーニアス英和大辞典では「批評的思考」と訳され「十分な調査・知識に基づく、よく練られた知的批評」という意味が載っていました。個人的にはこの「批評」という考えがしっくりきます。
’Critical thinking’に関して学生として何に気を付けるべきか書いている書籍や記事はたくさんあるのですが、これまでで一番分かりやすいと感じたのがLeeds大学のホームページに載っていた説明です。そこでは’Critical thinking’とは’always questioning the information, ideas and arguments you find in your studies’と説明されています。*1 私はこれを、情報などを鵜呑みにせず常に疑う姿勢を持つこと、と解釈しました。そして’Just criticizing ideas’や’Not accepting what you read’ではない、との追記もあり、これは英語ネイティブでも混同している人がいたような気がしました。自分が受け入れられない考えをひたすら批判する人もいたからです。

上記の通りCritical thinkingの必要性は分かるものの、毎週のように批評的な記事を批評しながら授業で学んでいると暗い気持ちになり、コースメイトに「開発援助の世界は欺瞞が多いことが分かったし、もう開発を学ぶのなんてやめて、日本に帰って違う仕事に就こうかな」と半分本気で言ったりしていました。

その時コースメイトも苦笑いしつつフォローとして言ってくれたし、私も理解しているのですが、うまくいっていない部分を分析することでより良い方法を模索しているんですよね。 また、開発にかかわる機関や団体は世界中にあるので、援助を受ける人に良い効果を与えるものもあれば逆効果のものもある、というのは分かっています。

ただ、何となく感じていた辻褄があっていないことを毎週毎週読むのはつらく、また「批判してるだけかよ」という反発が芽生えてきました。特に、代わりの案も出さずに既存の方法を「上手に」「細かく」批判してるように思える記事を読むと「完璧なものなんてないし、批判するだけなら誰でも出来るでしょうが。その素晴らしい頭脳を机上ではなく実践に使ったら?」とか余計なことを思っていました。

まあでもこのまま’Critical thinking’に腑に落ちてないと勉強にも生かせないし、と思って思い出したのが先生のよく言う 「問題をunpackするのが大切」との考え方でした。英英辞書でunpackの意味は‘Analyse (something) into its component elements’と載っていました。*2 

「構成要素に(細かく)分解するのかーなるほど!」と思いついたのが、昔教えてもらったコンピューターの修理の仕方みたいなものかなーという拡大解釈でした。
修理する時にコンピューターの中を開けるとこんな感じで部品が配置されています。

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そしてコンピューターがうまく動かないときに、この一つ一つの部品を新しい部品と交換しながら何が悪いのかを調べてたのでした。部品を分解している時は壊れるんじゃないかとどきどきするのですが、ハードディスク、CPU・・・と順に調べていくと、本当に何の部品が悪いか分かって、その部品を交換したら嘘みたいにスムーズに起動出来るのでびっくりすることがありました。

これを元に考えると、問題を要素毎に分解して、この要素は上手く動いてないと指摘することは重要だ!とやっと腑に落ちました。 批評の後この要素をこう代えてみたら?という代わりの案(政策提言)を行う人もいれば、既存の要素をほぼ全て否定して「これから住民による住民のための行動が求められる、民よ、立ち上がれ!」みたいに終わる記事もまれにありました。(でも大抵、批判するのみで代替案を提示していない論文は現実的でない「ユートピア的思考」と批判されます。)

時に感情的にならず理論的に批評するのが難しい時もありましたが、授業で練習するうちに日常生活でも今までより情報を冷静に分析出来るようになったと感じています。それまではネガティブなニュースやSNSのコメントへ感情的に反応していたのですが、今はまずは情報を分解して考えるようになりました。まだ練習中ですが、これからも’Critical thinking’をうまく活用したいと思います。

*1:以下Leeds大学のページ
https://library.leeds.ac.uk/info/1401/academic_skills/105/critical_thinking 

*2:オクスフォード英英辞典

「本当」の参加型ワークショップとは② 参加者編

前回の記事(ファシリテーター編)に続き、ワークショップの参加者から学んだことを書きます。

私はこのワークショップ参加者の中では、自分が英語力も開発に関する知識も他の人より劣っていると考えていたため、このワークショップはどちらかというと弱い立場の人の気持ちを体験している気がしていました。楽しいのに毎回緊張していて、不思議な感覚でした。
他の参加者の対応で特に印象的だったのが、何かを決定するときにどう力関係を緩和するかを学んだ回です。通常グループで意見を出し合い何かを決める時には、紙を囲んでペンを使いながら話し合う、という方法がとられます。ただこれだとペンを握る人が紙に何を書くかを決めるため「力」を独占してしまい、決定にその人の意見が多く反映される傾向があります。

そこで、力の独占を避けるため、意見を出し合い決定する際には全員が投票するという方法が提示されました。その方法とは、豆などを使ってまずは全員が意見を出し合って、その豆を各々動かしながらお互いの意見を調整していくというものでした。この方法であれば一人がペン(力)で意見を反映させる方法とは違い、みんなが同じ程度の力(豆)を使って意見を交換出来ます。

では決定のプロセスを体験してみよう、とそれぞれ4人組になって自分たちで決めたテーマで優先順位を決める、というグループワークをしました。テーマは何でも良かったので、私たちのグループは国際NGOの名前を4つ挙げ、その活動の順位を決めることにしました。そのワークはとてもしっかりした男性が、ずっとペンで自分と私たちの意見を紙に書きながらテキパキと仕切ってくれました。私は「あれ?ペンではなく豆を使うワークなのでは?」と周りを見渡すと、みんなが豆を動かしながら話をしていました。しかし私のグループはどんどん3人によって議論が進み、一人がどんどんペンで内容を書き込んでいきます。

もちろん3人は優しい人たちだったので、この時私が何か発言をしたら聞いてくれたと思います。ただ私は3人が私(ほぼ参加していない人)に気づくかな?と少し意地悪な実験をしてみることにして、笑顔で観察していました。この後、特に私を気にすることなく順位表は完成され、その仕切り役の彼は一度もペンを手放しませんでした。

ファシリテーターがじっとその様子を見て、「このグループは豆を使わなかったんだね」と一言言って去っていきました。その後の雑談で、ずっと仕切っていた彼は有名な国際NGOに勤めていて何回も参加型ワークショップのファシリテーターを行ったと言っていて、「さぞ、自分が一番参加するワークショップだっただろうな」とつい思ってしまいました。

この場合は同じ生徒という立場で積極的に参加しなかった私に非がありますが、多様な立場の人と行う場合には語学力や知識不足でついていけない人、性格や社会的な立場によって「参加出来ない」人もいると考えています。このワークショップで一番の肝は「力の差を緩和し参加者全員に参加してもらう仕組みを学ぶ」ことだと思っていたので、それを全く気にしていないように見える人がいたのには少しびっくりしましたし、人によって重視するところは違うのだな、と感じました。

一方で、ほとんどの参加者は自分の力を意識していたと思います。すごいな、と思った方の一人は30代後半くらいで大学院に通いながら自分でNGOを運営もされていました。でも彼女はディスカッションの時には、他の参加者の話を聞いて必要な時はフォローするなどとても控えめに対応していました。そしてファシリテーターがたまに彼女に「君は同じ経験をしていると思うけど、少し紹介してくれるかな?」と話をふると、ものすごく内容の深い経験を共有してくれます。彼女がディスカッションで話そうと思えば他の参加者よりも内容の濃い話が常に出来たと思うのですが、まずは他の人が話しやすい雰囲気を自分から作っていた穏やかな姿に学ぶものがありました。

他にも聞き返したらゆっくり分かりやすい説明に変えてくれた英語ネイティブの人、説明に詰まる人がいたらフォローする人、と多くの参加者が参加しやすい場づくりに貢献していました。

自分が大きな力に対峙したとき人によって対応は違いますが、私はファシリテーターやその参加者のようになるべく力関係を自覚したいと思っています。大学院の授業でも自分の力のバランスをとる先生とあまり気にしない先生がいました。ただ、「評価者」としての先生の力は生徒にはとても大きく感じられるので、授業で質問した時の対応があまりに冷たければ、その生徒は質問をしなくなるかもしれません。私は力関係を意識してバランスをとろうとする先生を尊敬していたので、自分も真似出来るように観察するようにしていました。修了後もその習慣は変わらず、こんなに人間は力関係に影響されるんだなと、とても興味深い気持ちになることがあります。

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「本当」の参加型ワークショップとは①ファシリテーター編

今回はParticipatory Workshop(参加型ワークショップ)に参加して得た気付きについて書きます。

大学院で授業とは別に、自由参加の週末1日のワークショップが各学期に2~3回開催されていました。ファシリテーターは世界的に有名な、参加型開発についてたくさんの著書を書いていらっしゃる方です。最初はせっかくの機会だし、という気持ちで参加しましたが、本当の「参加型」とはこういうことかと印象的でした。なんといっても彼のワークショップの進め方の随所に、私たちが参加しやすい細かな工夫がなされているのにとても驚いたのでした。

私自身参加型開発について知識はあまりなかったのですが、大学院でこのワークショップに参加して、改めて授業で学んでいた現場の’asymmetry power relations’(非対称な関係)に個人としてどう対応すべきかの指針を得た気がしています。ファシリテーターと参加者の両者からの気づきを得ましたが、まずファシリテーターからの学びを書きます。

■内容・進め方
開発に関するテーマが1つ挙げられ、そのテーマについてディスカッションなどを通じて1日で学ぶ形式でした。まず朝9時半ごろに集まって、内容の簡単な説明があります。その後はテーマに関する質問に対し、ペア又はグループで話し合い(内容に応じて数分~30分以上)、それを口頭又は模造紙などに書いて全体に共有、それに対しファシリテーターが解説する・・・ということを数回繰り返します。お昼休憩を挟んだ後、午後はまず参加者の体験の共有から始まります。これはテーマに関連した経験を持つ4人が立候補し、各15分くらいで発表。それを他の参加者が聞いて回るというものです。その後は質問~解説の流れを数回行い、最後はペアで今日学んだことを伝え合います。

■印象的だったこと
私は日本で参加型ワークショップについて学ぶ数日間の講座に参加したことがありましたが、ぶ厚い資料に書き込みながらほぼ座学でした。この講座の目的は細かな手法を勉強することだったと考えています。ただこの大学院でのワークショップでは、将来ファシリテーターとなる人が「参加者」の立場を体感することも目的とされているような気がしました。参加者はほぼずっと聞く、話す(けっこう移動する)、を積極的に行わなくてはならず忙しかったですが、どういう説明や進行であれば参加しやすいかなどについて得られるものが多くありました。

以下が特に印象的だったことです。
ファシリテーターは解説後にほぼ毎回、何か質問があるかを参加者に尋ねていました。そしてどんな質問にも朗らかに答えますし、失礼に思える質問(その前に説明されたことを尋ねたり、細かな質問を何回も聞いたり)についてもユーモラスにかわしながら答えたりします。そのため常に質問者への敬意が保たれていていました。特に他のワークショップやセミナーで、有名な人ほど参加者に高圧的に対応したり質問者の無知を暗に責めたりする姿を見たことがあったので、彼の一貫した態度は素晴らしいと感じました。

ファシリテーターは参加者の様子を常に確認していました。高齢な方なのですがディスカッション中の様子を聞いて回り、必要に応じてコメントされます。このため参加者もファシリテーターを身近に感じられやる気が出ますし、質問しやすくなっていたと思いました。

ファシリテーターは常に分かりやすい言葉で、ゆっくりはっきり説明していました。その日の質問は模造紙に書いてあり、共有もそれに書いて行われるので目でも確認出来ます。授業で英語ネイティブの先生が概要だけ書いたスライドをもとに早口で説明するのを必死にメモしていた私にとっては本当に有難い配慮でした。全部書き取らなくても、後でその模造紙をスマホで撮影し復習出来るからです。

ファシリテーターを務めていた方は開発の世界でものすごく有名で、元教授、白人の中流階級出身、年上、英語ネイティブ・・・とあらゆる面で参加者の上位になれる、つまりは力を持っている人です。でも生徒よりも大きな力を持つ彼はそれが私たちの参加を妨げないよう、様々に気を配っていました。気遣いはいつもさりげなく彼自身気さくな方だったので、ワークショップは終始和やかに進んでおり、私は心底感動しました。

とても人気がある方なので、生徒が本へのサインや写真撮影をワークショップ後に頼んだりするのですが、快く対応されていました。もちろん必要な時、例えば、参加者が午後に帰ってとても少なくなったり、関係のない質問を繰り返したりする時には少し厳しい発言もありました。ただそれは秩序を保つために必要なことだと感じました。

このワークショップを受けて、過去仕事で自分が行ったワークショップを思い返し、私はこんなに参加者へ気を配れていなかったなと反省しきりでした。そしてこれまで自分の意見を押し付けるファシリテーターがいたりして正直ワークショップというものにネガティブな感情をいだくこともあったのですが、彼を見て「本物はこれだ」と衝撃を受けました。そしてこれから自分がその場で特に「力」を持っていると感じる時、彼を思い出しその関係性を調整したい、と強く思いました。

下の写真はワークショップの中で’How we sabotage in everyday life?’という質問について、グループで話し合った内容を全体に共有したものです。日常生活で自分たちが行っている、相手の言動を妨げる行動が意外にあること(相手に質問せずに推測するというものから、相手が話しているときに時計を見るというものまで)が分かり面白かったです。
次の記事では参加者からの学びを書きます。f:id:natsuko87:20200815164739j:plain

「教育」の目的

今回は春学期に受講した「教育」の授業で学んだことを紹介します。
主に教育と争いの関係を様々な角度から勉強したのですが、特にこの授業を通して教育の価値や効果を無条件に肯定しがちな自分に気づくことが出来たのはとても貴重でした。そして心に残ったのが教育は必ずしも良い効果をもたらすものではない、という考え方です。
この学びが印象的だったのは、進学前の私が開発援助の文脈で教育をどうとらえるべきか分からなくなっていたからだと思います。何をどう教えるのが良いかは価値観に拠るけれど、自分(日本の文化を強く反映)と援助される人々の価値観や文化が違う中で、お互いの価値観をどの程度取り入れるべきか判断するのは難しいと感じていました。

授業で学んだ教育のカテゴリー
この授業の最初に先生から、教育の目的は関係者毎に異なるとして以下7つのカテゴリーが提示されました。
1. 基本的人権
2. 人的資本 *1
3. 解放
4. 融和
5. 教化
6. 変化
7. 社会的団結
これを見て、私は教育の意義を「1.基本的人権」、「2.人的資本」として捉える傾向にあると気づきました。そして教育が「5.教化」にもなり得るということは協力隊時代に実感したのでした。

進学前の迷い
私は協力隊として、某アフリカの国で中学生にICTを教えていました。活動1年目は、生徒たちに高等教育まで進んでもらって自分で稼げるようになってほしいと、放課後のタイピング教室なども行いました。正に「教育=職業を得るために必要なもの」という考えを信じていたのです。
ただ徐々に、派遣国では日本と違ってパソコンは大人でさえ使える人が少なく、パソコンを使った仕事は都会に少ししかないと気づきました。そのため、赴任当初は「この国が経済発展をした時に稼げるようにコンピューターを操れるようになってほしい」と思っていたのに、だんだん「この国でコンピューターが普及するまで後10年以上かかるだろうな」とか「電気を膨大に利用し産業廃棄物を無限に作り出す高度IT社会に全ての国がなることが正解だと思っているわけではないんだよね・・・」と迷うようになりました。
私の活動する地域は農業で生計を立てている人々がほとんどで、家にパソコンがある生徒はほぼいませんでした。「IT知識は役に立つけど、この子たちが直近で必要とするのは別の知識かも。例えば基礎学力を身につけたり、より生産力があがる農業技術などを身につけたりしたほうが、良い生活に繋がるのかも」と思うようになったのでした。

まとめ
大学院で学んでこれまでの迷いがより整理されました。まず協力隊時代にそれまで全面的に信じていた「教育は基本的人権」であり「教育によって稼げる人材を育成する必要がある」という考えに疑問が生じたのでした。そして大学院で、基本的人権の考えは西欧に根差していること、そして人間資本の強調は「『近代化』の教化」に繋がっていることに改めて気づいたのでした。何を信じるかは違って良いと思うのですが、私の場合はそれを認識していなかったことで矛盾が生じたのだと分かりました。
大学院の勉強で良かったことの一つは、自分が悩んでいたことについて、「あなたの考えにプラスして、こういう考え方があるよ」とより包括的な知識を教えてもらえることでした。それまでも分からないことがあるとその都度ネットや本で調べていました。でも大学院で学んで、自分では見つけるのが難しかった考えを知って頭が整理出来た時の「・・・なるほど!!」と腑に落ちる感じは格別でした。

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*1:人的資本(「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」より抜粋)
「職場訓練,学校教育によって新たに労働者個人に付加される能力をいう。教育という投資により,蓄積される知識や熟練を資本とみなす。」

https://kotobank.jp/word/人的資本-82271

開発へのCriticalな視点②

前回の記事に続いて、授業で紹介された近代社会をどう捉えているかの分類4つを紹介します。*1

1. ‘Everything is awesome!’
‘space singularly affirmed modernity’s shine, grounding humanity in the advancements in science and technology achieved within a linear notion of time, and a seamless notion of progress.’
…つまりは今の社会は「全部サイコー」みたいな現状全面肯定派です。

2. ‘Soft reformer’
‘one focusing on inclusion, mobilized through personal or institutional transformation.’
…現状を否定しないけど、もう少し個人的、組織的な変革が必要だよね、という派です。

3. ‘Radical reformer’
‘What distinguishes soft-reform from radical-reform spaces is a recognition of epistemological dominance (largely absent in the soft reform space)…The radical-reform space also allows for the recognition of how unequal relations of knowledge production result in severely uneven distribution of resources, labour, and symbolic value. Modernity’s violence is recognized as something systemic to be addressed by re-structuring social relations at multiple levels.’
…現在の体制自体を変えなければいけない、という改革派です。

4. ‘Beyond reform’
‘they recognize the limits of even the most radical transformations that do not disrupt the underlying modern system and its grammars and logics.’
…改革も意味がない、システム自体が崩壊している、という全否定派です。

 これについての統計は、生徒の過半数は2の’soft reformer’で、1の’everything is awesome’と答えた人は数パーセントでした。先生は「まあ現状に大満足だったら、わざわざ開発を修士課程で学ぼうとは思わないかもね」と言っていて、確かにと思ったりしました。私もこの時2の’soft reformer’を目指したいと思っていましたが、枠組み自体を大幅に変える必要がある場合はradical(根本的)な改革が必要な場合もあるとも今は考えています。

最初の授業でこの2つの議論と分類、そして開発や今の社会に対して様々な立場があると知れた事は私にとってものすごく良かったと感じています。 何故なら、これまで抱いてきた自分の迷いを整理できたからです。今まで周りにいた人の開発に対する考えは「ほぼ肯定」「ほぼ否定」「無関心」のどれかだったと感じていて、そのどれにも微妙に属さない私は「部分的には賛成するけど、欺瞞だと思う部分もある。開発援助を全面的には肯定していない私が関わっていいのだろうか?」と迷っていました。

だから分類分けにその立場の人がいて、「仲間がいたー!!」と思って嬉しかったです。結果として、良い面悪い面を認識し、一番大事な文脈に集中すれば良いという考えに至り、卒業後の進路を判断する基準が自分の中で明確になりました。授業開始早々、「大学院に来て良かったなあ」と思った覚えがあります。

*1:この記事では「近代社会」と意訳していますが、以下出典文献ではModernity(近代性)という表現をされています。この分類は正しくは’social cartography of General responses to modernity’s violence’と呼ばれ、近代性の進化し続けるというポジティブなイメージの裏にあるネガティブな面(近代性の名の下に押し付けられるsystematic violence)に対する解釈の4分類です。
出典’Mapping interpretations of decolonization in the context of higher education’, Andreotti, V., Stein, S., Ahenakew, C., Hunt, D. 編著 

開発へのCriticalな視点①

今回はcritical thinking(批判的思考)ってこんな風に考えるんだなあ、と印象的だった授業について書きます。
それは秋学期、大学院に入学して最初に受けた「理論」の授業でした。第一回目だったので、まず授業の大まかな流れを説明した後、先生は大学院で開発援助の欺瞞を指摘し批判的に分析した学生のほとんどが、国際機関などの開発援助業界に就職する矛盾について説明されました。

・・・ここで少し話を進めると、確かに学ぶにつれて迷いが生じたりしました。2回目以降の授業ではほぼ全ての開発援助団体の欠点を学びました。例えば、国連関連機関や政府機関に対しては「大きな組織で現場のニーズを知らない人間によって作成された政策が実行されている」という指摘や、そしてNGOに対しては「資金不足のため政府などの助成金に頼らざるを得ず、把握しているニーズとは違うプロジェクトを行なっている」という批判などがありました。
また、「そもそも『先進国』が『途上国』の政策に口を出す開発援助というスキーム自体が植民地主義を引きずった考えであり、間違っている」と唱える学者さんもいたりします。そんな記事を何か月も読んでいると、沢山の欠陥を抱える開発援助のスキームに自分が関わるは良いのかという疑問を抱いたりしました。

・・・このようなもやもやした気持ちを今後抱くであろう生徒のために、この第一回目の授業では修士取得後に何をしたいのかを考えるヒントとして2種の議論が紹介されましたので共有します。

まず1つ目は人類学者達の開発への介入に対する立場の分類です。私含め人類学者以外にも参考になる分類なのですが、以下4つに分けられています。*1

1. Rejectionist (拒絶者)
‘one that sees the anthropologist's intervention as elitist or paternalistic, as something that necessarily reinforces the status quo.’
開発に介入することを否定的にとらえる考え方ですね。


2. Monitorist (観察者)
‘who simply diagnoses and creates public awareness of the problems associated with development’
この立場は現状を分析して開発の課題を伝える、淡々と学者としての仕事をする感じでしょうか。


3. Activist (実践主義者)
‘who…is actively engaged in development work’
学者としての知見を積極的に現場で生かそうとする立場ですね。


4. Conditional reformer(条件付き改革者)
‘who recognizes that anthropologists can contribute to the solution of Third World problems, but who also recognizes that their work in development programs and institutions is inherently problematic’
半々の気持ちで、自分たち学者の介入が第三世界の課題に役立つと思いつつも、自分たちの介入自体に問題があることも認めている、悩める感じですね。

授業では約80人ほどの生徒達に対して自分がどの立場だと思うかをオンラインで統計が取られたのですが、過半数以上が4の「条件付き改革者」、その次に多かったのが3の「実践主義者」でした。私自身は自分が「条件付き改革者」になりたいのかなと思っていますが、同じ「開発」に興味を持っている人でも各々立場が全然違うことを知れたことは、その後の授業で他の生徒と話す上でとても良かったです。(例えば1の『拒絶者』の人と議論すると開発援助を全否定なので自分の意見に自信がなくなったりしたのですが、目指している方向が違うことを思い出して、どちらかが正しいではなく、違って当たり前だと思えたりしました。)

そしてこの授業で進学前の疑問が解消されました。それは、開発そしてそれに関わりの深い開発援助を大学院で高額な費用と貴重な時間を費やして学んで、それが「修士取得」と履歴書に書ける以外の何の役に立つのかな?知識や人的ネットワークは仕事や自力でも得られるのでは?というものでした。でもこの授業を通して、批評的思考を知り、先生や生徒と話し、自らの考えを深める、を行うには学校という場が最適だと実感することが出来たのでした。

それでは次の記事では、授業で紹介されたもう一つの分類、近代社会の捉え方について書きます。

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*1:この説明は以下の文献にあるGrilloさんの論文のまとめを抜粋しました
‘Anthropology and the Development Encounter: The Making and Marketing of Development Anthropology’, p.672, Arturo Escobar著

※上記文献で参照されているGrilloさんの文献は以下です
‘Applied Anthropology in the 1980s: Retrospect and Prospect’, Ralph Grillo and Alan Rew, 編著

良い援助とは何か例えてみた話

今回は良い援助とは何かについて考えたことを紹介します。援助で何が重要かを理解するために、援助を「ご飯」に例えて考えてみたのですが、自分にとっては腑に落ちる部分があったので紹介します。 

まず何故この変な例えを考えるに至ったかを説明しますと、一番の理由は援助の評価が千差万別で私が混乱していたからです。私は大学院で学んで、色々な意見を知りつつどれを自分が重要視するかを決めたいと考えていました。でも色々な考え方があって、どう判断すべきか分からず困っていたのでした。私の所属するコースはどちらかというと資本主義に反対する論調が多いのですが、きっと経済学関連のコースでは読む論文なども違うのではないかなと思っていました。

そこで、自分が援助よりもう少し詳しく知っている「ご飯」を当てはめてみたのでした。まず、食べる・作るは毎日しているので、どんなご飯が良いか、についてはどんな援助が良いかよりイメージしやすいです。また、援助の判断には価値観が深く関係しますが、頭で考えるだけだと分かりにくい。でもご飯は味・においなど五感を使って判断するので分かりやすく感じました。そこで以下のように例えてみました。 

・Aはご飯を食べる人=援助される人(開発途上国の住民)。 Aはお金がなく一日一食の生活でお腹がすいています。 
・Bはご飯を作る人=援助活動を実際する人(援助機関から途上国に派遣される専門家など)。 Bは自分の料理で人を幸せにしたいと考えています。
・Cはレストランを経営する人=援助に必要な資金や物品を提供する人(援助を調整する機関の管理部など)。 Cはお金は十分稼げたので、社会貢献もしたいと考えています。
・Dはその結果、A に提供されたご飯=援助されたもの。

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そして、Dという援助(ご飯)の評価に影響する要素を①~⑨まで考え付きました。

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特に3者の価値基準(①③⑥)、社会環境(②⑤⑦)は判断に大きく影響すると考えています。進学前の私は、特に大学院で以下3つを勉強したいと考えていました。 
①援助されるAの価値基準
⑧援助方法(どのような援助手法を用いるか等) 
⑨援助内容(教育なのか起業支援なのか等) 

ただ、授業を通して驚くことが多かったのが個人の価値基準(①③⑥)は、違うんだなあということです。同じく援助側にいる援助実践者Bと援助管理者Cですら合わせるのが難しいこともあります。また、通常のレストランであればAはお金を払って料理を食べるわけですが、援助の世界では援助されるAがお金を払う機会はあまりありません。だから評価が更に難しくなります。 
つまりこの例では食事の好みが違う人々が関わるので、何が良いご飯か(何が良い援助か)が違うのは当たり前だと分かりました。そして良いご飯といっても「美味しい」「健康に良い」「見て楽しい」と何を重視するかは依って違うとも思います。

例えば、経営者Cがある地域に住むAはお金がなくご飯が満足に食べられないと知り、「自分の好きなスパイスたっぷりカレーライスをご馳走してあげよう」と援助するとします。援助されたA は実は辛い物が苦手、でもご飯を買う余裕がなくて経済的には助かるので無理に食べるということがあったとして、この時に浮かぶ疑問点としては以下があります。

1) お腹は満たされたけど、苦手なもの食べてAの具合が悪くなった場合、Aにとってそのご飯(援助)は「良かった」のか? 
2) その後Aが今度はカレーライスではなく野菜スープとご飯を援助して欲しいといったときにCは援助を続けるか?(Cは自分の善意が拒否されたと怒るかもしれませんし、カレー専門店の経営をしていて、「貧しい人を救ったカレー」として宣伝したかったかもしれません。) 
3) 無料で提供されたご飯の内容に変更を要求したAは我儘なのか? 
4) 良かれと思って作ったカレーでAの具合を悪くなったと知ったB。その後Bは「自分はカレーが苦手だと言わなかったA」「Bの好みを確かめずにカレーを提供してしまった自分」「Aの意見を聞かずにカレーを作らせたC」の、どれに原因を見出せば良いのか? 

言葉遊びみたいですが、こう考えると被援助側と援助側の価値観の違いが分かりますし、ここに社会環境も影響します。極端な話ですがなじみのないカレーのスパイスの香りで隣の人から文句を言われると、自分が美味しいと思ったカレーでも次はいらないと思うかもしれません。 

この援助をご飯に例えて考えた結果、開発援助においてBの援助者を目指す私が「変えられる」のは基本的に自分の④知識、能力、⑧援助方法、⑨援助内容だと気づきました。また、「自分の」③価値基準も柔軟にすることで、Dの援助を良い効果のあるものにしていくことが私の重視することだとやっと分かりました。(もちろん人の料理の好みが状況や体調で変わるように、キッチンを使いやすく変えたら料理が美味しくなるように、個人や社会の価値基準が変わることはあると思います。)

この例から改めて、私は物事を「改善」したい場合、まずは自分の行動を変える考えが好きだと分かりました。それは自分から、相手を理解したり交渉したりすることだと考えています。反対に、私が一番嫌なのは自分と違う「価値観」や「規範」を悪いと決めて変えようとすることだとも感じました。そして変わらなかった相手を責めることも苦手です。
それはこの例で行くと「みんながカレーを食べるべきだし、カレーを美味しいと思わない人はおかしい」と主張するようなものだからです。「より良い世界に変えよう!」って言ったとき、誰にとって「良い」のかを具体的に考えないと、逆の影響があるかもしれないことを自覚する必要があると思っています。 

ちなみに前ページの例の改善案を考えたのですが、 
・Cがスパイス栽培会社をAの住む地域に設立、 
・そこで働いたAは給料で好きなご飯が買えるようになり、 
・料理人Bはその会社の食堂で美味しいスープ(スパイスありなし選択可)を作ったりしながら、Aに地元の料理の作り方を教えてもらって更に料理人としての腕を磨く・・・
というのが皆にとって利益があると思える、私が良いと思う援助の方法です。

ちなみに何でカレーが例えに出てきたかというと、これを考える前にシェアハウスでカレーを美味しく作れて幸せな気持ちになったのは良いものの、共同キッチンにニンニクとスパイスの匂いが充満したので焦って窓を全開にして喚起を試みたせいだと思います。 とりあえず匂いは緩和したしカレーは美味しかったですし、少し変わった例を考えた結果、自分が大学院で得たいものがクリアになり良かったです。